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阿部桂一 : ミニ英和和英辞書
阿部桂一[あべ けいいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)
: [いち]
  1. (num) one 

阿部桂一 : ウィキペディア日本語版
阿部桂一[あべ けいいち]

阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 1991年8月15日)は、日本の脚本家である〔放送年鑑, p.4.〕〔民放年鑑, p.742.〕〔演劇界, p.151.〕〔''Keiichi Abe'', インターネット・ムービー・データベース 、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''文化庁、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''KINENOTE, 2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''allcinema, 2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''・''新井啓''日本映画データベース、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''日活、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''日本映画製作者連盟、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''テレビドラマデータベース、2015年6月19日閲覧。〕〔''阿部桂一''脚本データベース、2015年6月19日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2015年6月19日閲覧。〕。筆名は別に新井 啓(あらい けい)がある〔〔渡辺護、『修道女 秘め事』、『猟奇薔薇奴隷』などについて語る 渡辺護、2013年2月7日付、2015年6月19日閲覧。〕〔『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り終えたくなかった 、渡辺護公式サイト、2015年6月19日閲覧。〕。日本シナリオ作家協会会員〔・功労賞受賞者〔シナリオ功労賞の受賞者一覧 日本シナリオ作家協会、2015年6月19日閲覧。〕、日本放送作家協会会員〔、日本脚本家連盟信託者〔信託者検索・名簿 あ 日本脚本家連盟、2015年4月1日付、2015年6月19日閲覧。〕。フジテレビジョン映画部の五社英雄が手がけたテレビ映画トップ屋』、『刑事』で頭角を現し『三匹の侍』の成功で知られる〔〔。テレビの代表作はほかに『SFドラマ 猿の軍団』、『佐武と市捕物控』等、劇場用映画の代表作には『』等がある〔〔〔〔〔〔〔〔。
== 人物・来歴 ==

=== 五社英雄とともに ===
1923年(大正12年)11月11日〔〔、宮城県に生まれる〔。『放送作家年鑑 1966』の阿部の項には東京府(現在の東京都)に生まれた旨の記述がある〔。
福岡県に移った経緯は不明であるが、1940年(昭和15年)3月、旧制・福岡県中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)を卒業する〔〔。その後、日本大学工学部に進学するも、中途退学したという説がある。1945年(昭和20年)8月15日、満21歳で第二次世界大戦の終戦を迎えるが、兵役等の経験については伝えられていない〔〔。満34歳のとき、日本シナリオ作家協会が主催する「第8回シナリオ・コンクール」にシナリオ『戦争』を応募、1958年(昭和33年)4月に発表された同コンクールで最優秀賞を受賞、同月発行の『シナリオ』誌に全文掲載され、阿部は「入選の感想」として『感慨無量』という小文を寄せている〔〔シナリオ, p.42-44, 52-75.〕。このときに阿部のほか、岡田光治川井甫山本哲郎も入選した〔〔。記録に残るもっとも古い時期に映像化された阿部の脚本作品は、同年5月に日本テレビ放送網が放映し同年6月1日に新東宝が配給して劇場公開した中篇映画『犯罪地帯を探せ』(監督森園忠)である〔〔〔〔〔。同年7月13日に公開された『夜は俺のものだ』(監督森園忠)以降、当時日活の企画者だった大塚和(1915年 - 1990年)のプロデュース作に多く脚本を提供する〔〔〔〔。
1959年(昭和34年)6月26日に放映を開始した『刑事』は、当時、フジテレビジョン映画部でテレビ映画を手がけていた五社英雄(1929年 - 1992年)が高松英郎を主演に起用した連続テレビ映画であるが、阿部は、同作で脚本を手がけて以降、フジテレビジョン製作、とくに五社のテレビ映画に多く脚本参加していく〔〔。翌1960年(昭和35年)1月31日に放映を開始した『トップ屋』では、当時、新東宝の大部屋俳優でしかなかった丹波哲郎を主人公に起用、丹波をスターダムにのし上げることに成功した〔〔〔トップ屋 、テレビドラマデータベース、2015年6月19日閲覧。〕。同年9月24日に「東芝土曜劇場」の枠(第80回)で放映された『むしけら』(監督五社英雄)は、同年の第15回文部省芸術祭参加作品として製作され、奨励賞を獲得した〔〔。1963年(昭和38年)10月10日に放映を開始した『三匹の侍』では、全26回のうち5話を手がけており、同作は阿部の代表作とされる〔〔〔。1964年(昭和39年)、松竹京都撮影所が製作して同作が劇場用に映画化された際には、柴英三郎(1927年 - )、五社英雄と共同で脚本に参加、同年5月13日に公開された〔〔〔〔〔。同年2月8日に公開された日活映画『花と怒濤』(監督鈴木清順、主演小林旭)にも、同作の美術デザイナーである木村威夫が執筆した脚本をサポートする形で脚本に参加しており、同作は、阿部の劇場用映画の代表作である〔〔〔〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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