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高松 英郎(たかまつ ひでお、本名・武市 哲郎、1929年(昭和4年)10月24日 - 2007年(平成19年)2月26日)は、日本の俳優。 ==来歴== 高知県長岡郡大篠村(現南国市)に小学校教員の息子として生れる。幼少時に東京都杉並区に移り、1947年、早稲田中学卒業後、鎌倉アカデミア演劇科に入学する。在学中は舞踏家檜健次のもとで創作舞踊に打ち込む。 1951年、大映に第5期ニューフェイスとして入社。同期には若尾文子や南田洋子らがいた。2年後、『怒れ三平』の若尾の恋人役で映画デビュー。初期には恋愛映画などの出演が多かったが、徐々に悪役で持ち味を発揮し始めた。1958年の『巨人と玩具』で猛烈サラリーマン役を演じて注目を浴びる。1962年の『黒の試走車』では一癖も二癖もある自動車会社の部長を、続く『しとやかな獣』では欲望丸出しの人間臭い役どころを演じ、演技派俳優として確固たる地位を築いた。 1962年、大映を退社。以後はテレビドラマを中心に活躍し、悪役や凄味のある役から、温和な紳士や好々爺に至まで、幅広い役柄を演じた。1969年に放送が始まった『柔道一直線』では「講道館の鬼車」こと車周作を演じ、これが生涯の当たり役となった。刑事役も多かった。 2007年2月26日朝、神奈川県内の自宅で心筋梗塞のため死去、77歳だった。前日までドラマのロケ〔『猪熊夫婦の駐在日誌4』(2007年11月28日放送)で、退職した警察官役でゲスト出演予定だった。急死に伴い織本順吉に変更となった。〕で茨城県鹿嶋市にいたが、顔色が悪くその日の収録を終えると「気分が悪いのでいったん帰宅したい」と述べ、同夜の高速バスで帰京し自宅には深夜過ぎに戻って入浴の後就寝した。翌日早朝、寝室で息絶えていたのを妻が発見した。 糖尿病の既往症があり、30年にわたって毎朝血糖値を測り、自らインスリンを注射していた。晩年は飲み薬が手放せない状態だったというが、事情を知らない者にはそんなことは想像もできないほど本人は仕事熱心だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高松英郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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