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足利周暠 : ミニ英和和英辞書
足利周暠[あしかが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)

足利周暠 ( リダイレクト:足利周こう ) : ウィキペディア日本語版
足利周こう[しゅう]

足利 周暠(あしかが しゅうこう、生年不詳 - 永禄8年5月19日1565年6月17日))は、戦国時代僧侶足利将軍家の一族で、室町幕府12代将軍足利義晴の末子。13代将軍・足利義輝、15代将軍・足利義昭の弟である。
== 生涯 ==
幼い頃から仏門に入り、相国寺塔頭鹿苑院の院主になった。永禄7年(1565年)5月19日、松永久秀久通父子と三好義継三好三人衆によって将軍・義輝が殺害され(永禄の変)、周暠も松永らの命令を受けた平田和泉守に誘い出され、小姓とともに京都へ行く途中で殺害された。なお、小姓は周暠が殺害された直後に平田を殺害した。
奥野高広の『足利義昭』は周暠を17歳であったとしているが、義晴の死後に出生したことになり、年代が合わない。『系図纂要』においては存在自体が省かれている。
平島公方史料集所収の系図によると、18歳とある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「足利周こう」の詳細全文を読む




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