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立石智紀 : ミニ英和和英辞書
立石智紀[たていし とものり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 

立石智紀 : ウィキペディア日本語版
立石智紀[たていし とものり]

立石 智紀(たていし とものり、1974年4月22日-)は、千葉県出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー
== 来歴 ==
堀越高校卒業後、1993年に当時のジェフユナイテッド市原(以下、ジェフと表記)に入団。当時のジェフには日本代表GKの下川健一が絶対的守護神として君臨し、立石は第2GKの位置づけであった。1998年にはアビスパ福岡レンタル移籍したものの塚本秀樹が正GKを務めたため出場機会に恵まれず、1年でジェフに復帰した。下川が2001年横浜F・マリノスに移籍した後も若手の櫛野亮が正GKとなり、長くジェフの控えGKとして過ごした。
2004年からは背番号1を背負い、2005年、第19節の戦から怪我で離脱した櫛野に代わり出場。以後の公式戦ではチームの堅守に貢献し、プロ13年目にして初めてレギュラーを獲得。ナビスコカップ決勝のG大阪戦でも神懸り的セーブを連発し、PK戦にまでもつれたこの試合で、遠藤保仁PKを一本止め、自ら試合に決着をつけた。この活躍で、ジェフに初のタイトルをもたらすとともに、自身もナビスコカップMVPを獲得。なお、遠藤はPKの名手であるが、立石はこの決勝のほか2006年A3チャンピオンズカップでも遠藤のPKを止めている(その後の取材で、また遠藤のPKを止められますかとの質問に対して「もう無理でしょう」と回答している)。
その後2007年まではジェフのレギュラーを務めたものの、2008年には岡本昌弘の台頭もあって出場機会が減少。12月26日に現役引退を発表〔立石智紀選手 現役引退のお知らせ 〕。主力選手の移籍が多いジェフにあって、1993年のJリーグ発足当時にジェフに在籍した選手の中では最後までクラブに残った選手であった。2009年からはジェフのチームスタッフに転身した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「立石智紀」の詳細全文を読む




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