翻訳と辞書
Words near each other
・ 梅田川 (宮城県)
・ 梅田川 (愛知県)
・ 梅田川 (神奈川県)
・ 梅田彩佳
・ 梅田恵子
・ 梅田悟司
・ 梅田悠
・ 梅田悦生の幸せ変更線
・ 梅田新道
・ 梅田昌志郎
梅田晴夫
・ 梅田智子
・ 梅田智江
・ 梅田望夫
・ 梅田未央
・ 梅田村
・ 梅田村 (群馬県)
・ 梅田東小学校
・ 梅田東映会館
・ 梅田正則


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

梅田晴夫 : ミニ英和和英辞書
梅田晴夫[うめだ はるお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

梅田晴夫 : ウィキペディア日本語版
梅田晴夫[うめだ はるお]
梅田 晴夫(うめだ はるお、1920年8月12日 - 1980年12月21日)は、日本フランス文学者劇作家小説家随筆家。本名は梅田晃(あきら)。慶應義塾大学大学院修了。舞台劇やラジオドラマの脚本、物の歴史に関する著述や翻訳などで活躍した。パイプや万年筆などの収集家としても知られる。梅田望夫梅田みかは子。
==経歴==

===出生===
1920年(大正9年)、東京府東京市四谷区(現東京都新宿区愛住町暗闇坂で、ロシア貿易会社を営んでいた父〔梅田の父、潔は青森県三戸郡三戸字梅内村の農家に生まれ、17歳で上京。林董の書生を務めたのちにロシア貿易会社を興した。姓の由来は、梅田の祖父が明治維新の戸籍制本施行の際、地名である「梅内」を姓にするはずであったが、官吏が「梅田」と誤って登録したものであるという。(出典:『紳士の美学-粋でNOWな人のために』 青也書店 1977年)〕と文学者の母〔母玲子は、俳人として玲如と号し、原石鼎が主宰する『鹿火屋』などに作品を発表した。また、岸田劉生小林徳太郎島村抱月平塚らいてう松井須磨子柳原白蓮などの当時の文化人たちとも交流した。(出典:『石鼎とともに』原コウ子 明治書院 1979年)〕との間に、6人兄弟の末子として生まれる。当時の梅田家の家風であった、ヨーロッパ的な生活習慣〔当時の梅田家では、毎週日曜日にサモワールで沸かした湯で紅茶を淹れるのが習慣であった。(出典:『太陽』NO.132 特集:大正時代 平凡社 1974年)〕の中で育ち、1926年(大正15年)、慶應義塾幼稚舎入舎。以後18年間大学院まで慶應の一貫教育〔梅田の二人の子息も慶應の一貫教育を受けている。〕を受ける。外国製の家具調度品に囲まれて育った梅田は幼少時から物に対する愛着が深く、5歳ごろから「鉛の兵隊」などの玩具収集に熱中していたが、1930年昭和5年)の春、家庭教師として梅田の世話をしていた10歳年長の従姉からデ・ラ・ルー社製の万年筆〔この万年筆は、1975年(昭和50年)公開の映画『我輩は猫である』(監督市川崑)に夏目漱石の愛用品として登場している。(出典:『万年筆』 平凡社 1978年)〕を譲り受けてから、万年筆をはじめとする物の収集に熱中するようになった〔出典:『万年筆』 平凡社 1978年〕。知的好奇心も旺盛で、母の玲子が丸善から購入した、チッペンデール風の専用書架つきのブリタニカ百科事典第11版は梅田の青年期からの愛読書〔梅田の読書好きは終生続き、なかでも百科事典を熟読することを趣味にしていた。(出典:月刊『サンジャック』 1976年9月号 鎌倉書房)〕となる。1931年(昭和6年)に実家が没落、梅田は母と共に借家に転居する。1937年(昭和12年)、丸善で全10巻からなる洋書のウージェーヌ・ラビッシュの戯曲集を購入。フランス喜劇の戯曲に興味を抱きはじめる〔出典:劇団NLT 第17回公演プログラム 『恋の冷凍保存』 1972年〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「梅田晴夫」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.