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徳大寺公保 : ミニ英和和英辞書
徳大寺公保[とくだいじ きんやす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 

徳大寺公保 : ウィキペディア日本語版
徳大寺公保[とくだいじ きんやす]

徳大寺 公保(とくだいじ きんやす)は、平安時代後期の公卿。正二位権大納言従一位左大臣徳大寺実能の三男、母は権中納言藤原通季の娘。子は実保、隆保、実基、実進、女子。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
保延2年(1136年)1月6日、従五位下に叙される〔統子内親王給。前年の未給分。〕。保延5年(1139年)1月24日、侍従に任ぜられる。康治3年(1144年)1月5日、従五位上に昇叙。久安5年(1149年)3月13日、正五位下に昇叙〔院御給。〕。同年4月15日、右近衛権少将に任ぜられる。久安6年(1150年)1月29日、備中権介を兼ねる。同年3月14日、皇后宮権亮を兼ねる。久安7年(1151年)1月6日、従四位下に昇叙。仁平元年(1151年)2月21日、権亮を辞す。同年7月27日、左近衛権少将に転任。仁平2年(1152年)1月3日、従四位上に昇叙(行幸時の院の賞。統子内親王給。)。久寿2年(1155年)1月6日、正四位下に昇叙〔新院御給。〕。保元元年(1156年)9月17日、右近衛権中将に転任。同年11月28日、皇太后宮権大夫を兼ねる。保元2年(1157年)8月3日、禁色を許される。
保元2年(1157年)10月27日、従三位に叙される〔この時、父実能の薨去により喪に服していた。〕。中将を止めるが、皇太后宮権大夫は元の如し。保元3年(1158年)2月3日、太皇太后宮権大夫に転任。同年11月27日、右兵衛督に任ぜられる。同年12月17日、正三位に昇叙〔二条天皇即位時による。〕。
永暦元年(1160年)2月28日、参議に任ぜられる。太皇太后宮権大夫は元の如し。同日、右兵衛督から左兵衛督に転任。応保元年(1161年)1月23日、伊予権守を兼ねる。応保2年(1162年)10月28日、右衛門督に転任。長寛3年(1165年)1月23日、権中納言に任ぜられる。太皇太后宮権大夫、右衛門督は元の如し。同年4月1日、検非違使別当に補されるが、8月17日には右衛門督と検非違使別当を辞した〔息男実保を侍従に挙任のため。〕。永万2年(1166年)7月5日、勅授を許される。同年10月21日、太皇太后宮権大夫から大夫に転任。仁安2年(1167年)1月28日、従二位に昇叙。同年2月11日、権大納言に任ぜられる。太皇太后宮大夫は元の如し。嘉応2年(1170年)1月7日、正二位に昇叙〔前年の行幸時の賞。〕。安元2年(1176年)、権大納言を辞退し8月13日に出家〔病のため。〕。9月27日、薨去。享年45。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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