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守屋多々志 : ミニ英和和英辞書
守屋多々志[もりや ただし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
多々 : [ふさふさ]
  1. (adj-na,adv,n) (uk) in tufts 2. tufty
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 

守屋多々志 : ウィキペディア日本語版
守屋多々志[もりや ただし]
守屋 多々志(もりや ただし、1912年大正元年)8月10日 - 2003年平成15年)12月22日)は岐阜県大垣市出身の日本画家。本名は正(ただし)。
昭和から平成にかけて日本美術院において活躍し、太平洋戦争従軍時やイタリア留学時を除いて、ほぼ毎年出品していた。
守屋の描いた作品は、歴史と古典への深い教養に根ざし、歴史人物を堅牢な絵画空間の中に描出した「歴史画」が中心である。また、その知識と姿勢が評価され、歴史考証が必要な小説挿絵や舞台美術、衣装デザインなどでも活躍した。
イタリア留学以前は、日本古来の大和絵を意識した構成・筆遣いで描いているが、留学後しばらくは、明らかに洋画を意識した重厚なマチエールで描いており、以後も絵具を厚塗りした作品を多く描いている。昭和40年以降は武者絵を中心に、背景に金泥を使うなど豪壮な作品も見受けられたが、1982年(昭和57年)頃から黒を多用した暗めの作品が多く、直線で画面を区切ったり、独特の遠近感を持たせたりする作品を多く描いている。
== 経歴 ==

* 1912年(大正元年)、岐阜県大垣市船町の味噌たまり製造元「四代目孫八」の四男(11人兄弟の8番目)として生まれる。生後100日目、分家守屋貞吉(大垣市桐ヶ崎町の米穀商)へ養子に出される。
* 1930年(昭和5年)、岐阜県立大垣中学校(現:岐阜県立大垣北高等学校)を卒業。上京し、同郷の前田青邨に師事。
* 1931年(昭和6年)、東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科に入学。在学中に特待生となる。同級生には高山辰雄がいる。
* 1936年(昭和11年)、東京美術学校を卒業。卒業製作「白雨」が川端玉章賞を受賞。
* 1941年(昭和16年)、再興日本美術院第28回展に「継信忠信」が初入選。
* 1943年(昭和18年)、第30回院展に「陸奥の宿」が入選、この年から雅号を「多々志」とする。
* 1954年(昭和29年)、総理府留学生としてイタリアに2年間留学。
* 1967年(昭和42年)、法隆寺金堂壁画再現模写開始。第十号壁「薬師浄土」を担当。
* 1972年(昭和47年)、文化庁より高松塚古墳壁画模写を委嘱され、東壁の女性群像を担当。
* 1974年(昭和49年)、日本美術院同人に推挙される。愛知県立芸術大学日本画科の教授となる。
* 1976年(昭和51年)、飛鳥保存財団より委嘱され、高松塚壁画館に展示するための壁画模写(20面)に総監督として従事。
* 1977年(昭和52年)、第62回院展出品作品「駒競べ」にて文部大臣賞受賞。
* 1984年(昭和59年)、ローマ教皇庁より聖シルベストロ教皇騎士団勲章受章。
* 1985年(昭和60年)、第70回院展出品作品「愛縛清浄」にて内閣総理大臣賞受賞。
* 2001年(平成13年)11月3日文化勲章を受章。同年7月28日、大垣市守屋多々志美術館が開館。
* 2003年(平成15年)12月22日、聖路加国際病院において永眠。享年91。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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