翻訳と辞書
Words near each other
・ 呉汝綸
・ 呉江
・ 呉江区
・ 呉江市
・ 呉江県
・ 呉沢遠
・ 呉法憲
・ 呉波
・ 呉泰次郎
・ 呉泰錫
呉派
・ 呉浩康
・ 呉海軍工廠
・ 呉海軍航空隊
・ 呉淞区
・ 呉淞江
・ 呉淞笙
・ 呉淞鉄道
・ 呉淞鎮駅
・ 呉清源


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

呉派 : ミニ英和和英辞書
呉派[ごは]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for 
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

呉派 : ウィキペディア日本語版
呉派[ごは]
呉派(ごは)とは、中国明代中頃に形成された書画の一派である。呉門派ともいう。沈周文徴明を祖とし、江南蘇州(現在の江蘇省蘇州市)を中心に活動した。浙派と激しく対立し、明末に至ってこのライバルを退潮に導いた。
その画法は遥か遠く北宋董源巨然に淵源があり、南宗文人画の流れと轍を一としていると主張された。祖となった沈周や文徴明はともに元末四大家に師法し、その主張は評論家の何良俊、明末の董其昌陳継儒によって体系化され清代になっても文人画の王道とされた。
呉派には多くの優れた名士が輩出された。沈・文に続き、文彭文嘉文伯仁陳淳王穀祥陸治銭穀などが現れ絶頂期に至り、以降も陸師道陸士行張堯思徐弘澤銭貢宋珏謝時臣文震亨米万鐘卞文踰李流芳などが活躍し永く隆盛した。沈・文が活躍する以前、彼らに画法が近く影響を与えた作家達がいた。これを特にプレ呉派と呼ぶことがある。末から明初の趙原王紱夏昶徐賁杜瓊沈恒吉などである。
沈・文と同時期に蘇州で活躍した周臣唐寅仇英院派と呼び謝時臣や張夢を含める場合もある。画法が南宋画院に遡られることから、日本において院派と命名されたが、浙派と呉派の中間的な位置づけにある。しかし、近似した画法もみられ、蘇州画壇として一括りに扱われる。
明末になると呉派の拠点は松江華亭県(現在の上海松江区)に移った。これは都市間の盛衰、蘇州のマンネリ化、董其昌による革新的な画論の登場などが重なった為である。殊に董其昌の画論の影響は大きく浙派を壊滅的に衰退せしめ、後進の画家達の指針となり現在に至ってもその絵画理論を超えるには至っていない。松江派(あるいは華亭派ともいう)の祖は顧正誼であるが、董其昌を代表に陳継儒莫是龍などが活躍した。
以降、呉派は細かく諸流派に分裂し、上記の顧正誼の華亭派・四王呉惲南宗正統派趙左を祖とする蘇松派沈士充雲間派などの支流が現れた。しかし、いずれも伝統に囚われ創造性を発揮できず、エキセントリックな新興の作家達がそれに替わった。
== 出典 ==

*王伯敏 『中国絵画史事典』遠藤光一雄山閣出版、1996年、ISBN 9784639013853。
*嶋田英誠 WEB版 中国絵画史辞典 (SHIMADA's Dictionary for Chinese Painting)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「呉派」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.