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南海22001系電車 : ミニ英和和英辞書
南海22001系電車[なんかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南海 : [なんかい]
 【名詞】 1. southern sea 
: [けい]
  1. (n,n-suf) (1) system 2. lineage 3. group 4. (2) type of person 5. (3) environment 6. (4) medical department (suf) 
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

南海22001系電車 ( リダイレクト:南海22000系電車 ) : ウィキペディア日本語版
南海22000系電車[なんかい22001けいでんしゃ]

南海22001系電車(なんかい22001けいでんしゃ)〔項目名が「22000系電車」であるのに対し冒頭定義文が「22001系電車」である理由は南海電気鉄道の車両一覧#南海における「〜系電車」の表記についてを参照。〕とは、南海電気鉄道に在籍していた一般車両(通勤形電車)で、「ズームカー」の一系列。「通勤ズーム」「角ズーム」とも通称される。
本項では本系列の改造(車体更新)により派生した系列のうち2200系電車2230系電車についても記載する。和歌山電鐵に引き継がれた2270系電車については和歌山電鐵2270系電車を参照のこと。
== 概要 ==

高野線の山岳区間直通運行用(大運転 = 全区間運転)高性能車としては、21001系1958年 - 1964年に新製した。大運転は急行として運行するために、当時宅地開発の進行で乗客数が急激に増加していた河内長野駅以北で、4両編成の車内は相当な混雑を呈していた。そこで21001系に河内長野以北で2両増結し6両編成で運行することで混雑緩和を図ることを目的に〔その後大運転急行は橋本駅以北の乗客増に伴い、更に編成長を長くする歴史をたどり、1995年 - 2003年の間は河内長野駅以北で朝ラッシュ時に10両運転を実施するまでに至っている。〕、1969年に導入された。
形式はモハ22001形で、奇数車-偶数車で編成を組む。元来増結用が目的であったため、本系列は全て2両編成で新製されている。
2両単位での使用が可能になっているが、4両編成のときは、4の倍数の数字の車両番号が極楽橋寄りを向くように通し番号で揃えられていた(例:22001-22002-22003-22004)。
車体は普通鋼製で、客用ドアは1.3m幅の両開き扉と、一枚下降式の側窓を採用した。前面は21001系の非貫通型に対し貫通型となった。7100系を17m2扉車にしたようなスタイリングで、座席も全席ロングシートである。奇数車にパンタグラフが2基装備されている。
制御方式は抵抗制御で21001系と同一性能だが、電装品は1973年架線電圧1500Vへの昇圧に対応して複電圧仕様とされ、一台の制御器で4個の電動機を制御する21001系の1C4M方式から、南海としては初採用の1C8M方式に変更された。主制御器は偶数車に装備されている。台車は21001系と同じ住友金属FS-17(FS-317)である。
1969年に上記の目的で1次車、22001-22002 - 22007-22008の4本8両が新造された。
1970年に大運転に一部残っていた旧型車の1251形を全て置き換える目的で2次車、22009-22010 - 22027-22028の10本20両を新製し、極楽橋駅直通にも編成を2本併結して充当するようになった。2次車ではパンタグラフは下枠交差式となり、冷房装置の設置準備工事がされている。
最終増備車である1972年度の3次車、22029-22030・22031-22032の2本4両は2次車に準拠しているが、新製時から分散式の冷房装置が搭載され、また、前面には方向幕が設置された。
製造は2次車までは東急車輛製造大阪製作所が担当したが、旧帝國車輛工業から継承したこの工場での鉄道車両製造は1971年で打ち切られたため、それ以後に発注された3次車については東急車両横浜製作所が担当した〔このため1・2次車の銘板は「東急車輛 大阪」だが、3次車の銘板は「東急車輛 東京」である。〕。
1・2次車も後に冷房化改造がされ(この際には前面のみならず側面にも方向幕を設置し、3次車も1975年に側面方向幕を追設)、1次車ではパンタグラフが菱形から下枠交差式に変更されている。なお、冷房化されて以降も1次車と2・3次車とでは電動発電機の形式が違う(1次車はTDK-3736-A、2・3次車はTDK-3725-A)。
1990年以降、21001系の代替として2000系が新製されると、本系列は21001系に加えて2000系とも併結するようになる。その併結運用時代の1992年11月ダイヤ改正で高野線急行が金剛駅に停車するようになり、これに伴い高野線のダイヤ乱れが常態化するようになった。このダイヤ改正時点で本系列は、支線区に残っていた吊り掛け非冷房車1521系等の置換え用と、一部は大運転で継続して使用するために更新・改造の上、全車両を車号変更する計画であり、このため1993年以降改造が実施されたが、その後の計画変更により、大運転用は2000系に統一する方針に変更され〔2005年より、大運転には2300系も充当されている。〕、大運転からは離脱することになった。これにより、22001-22002・22003-22004・22017-22018・22021-22022の4編成8両、更新改造されることなく1997年 - 1998年に廃車された。熊本県熊本電気鉄道に譲渡され、200系電車として運用されている。22021編成を除き、一度南海本線支線へワンマン改造などの上転用させていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南海22000系電車」の詳細全文を読む




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