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ハロルド・カーマイケル : ミニ英和和英辞書
ハロルド・カーマイケル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ハロルド・カーマイケル : ウィキペディア日本語版
ハロルド・カーマイケル[ちょうおん]

ハロルド・カーマイケル(Harold Carmichael 1949年9月22日- )はフロリダ州ジャクソンビル出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのフィラデルフィア・イーグルスで13シーズン、ダラス・カウボーイズで1シーズンプレーした。彼は歴代のワイドレシーバーで最も背の高い選手である。
== 経歴 ==
サザン大学では4シーズン先発ワイドレシーバーを務め、4年次にはオールカンファレンス、オールアメリカンに選出されたがチームトップの数字は残さなかった〔この時のトップレシーバーであったジャビリー・ダンバーは1972年のドラフト3巡目でサンフランシスコ・フォーティナイナーズに指名されたがロースターに残れず1973年にニューオーリンズ・セインツ、1974年にクリーブランド・ブラウンズでプレーした。〕。1971年のNFLドラフト7巡目全体161番目でフィラデルフィア・イーグルスに指名されて入団した。新人の1971年、彼はタイトエンドとして起用され、先発出場6試合を含む9試合に出場し〔、チーム4位の20キャッチをあげた〔〔。翌1972年からはワイドレシーバーとして起用されるようになり、先発出場5試合を含む13試合に出場し、20キャッチ、2タッチダウンをあげた。1973年、チームにはQBローマン・ゲイブリエルが加入した。彼は67キャッチでNFLトップの1116ヤード、平均16.7ヤード、9タッチダウンを獲得しプロボウルに初めて選出された〔〔。その後チームは3シーズンQBに人材を得ることができず、147回のキャッチで20タッチダウンをあげたが平均獲得ヤードは13ヤード未満にとどまった〔。1977年にオールプロのタイトエンド、チャーリー・ヤングとのトレードでロサンゼルス・ラムズから加入したロン・ジャウォースキーが先発QBとなり、チームに安定感をもたらすと彼は42回のキャッチで平均14.5ヤードを獲得、7タッチダウンをあげた。
1978年には55回のキャッチで自己ベストの平均19.5ヤードを獲得〔、NFL3位の1072ヤードをレシーブで獲得、8タッチダウンをあげて2度目のプロボウルに選ばれた〔。チームはワイルドカードでプレーオフに進出し、アトランタ・ファルコンズ戦で彼はタッチダウンをあげたが相手QBスティーブ・バートコウスキーの活躍で逆転負けを喫した〔。
1979年、1980年も連続してプロボウルに選出された。1979年には100キャッチで平均17ヤードを獲得、NFL2位、自己最高の11タッチダウンレシーブをあげた〔。チームは1960年以来となるNFC東地区優勝を果たし、プレーオフのシカゴ・ベアーズ戦では6回のキャッチで111ヤード、2TDをあげる活躍を見せた。翌週のタンパベイ・バッカニアーズ戦でも3回のレシーブで92ヤード、1TDをあげたがチームは敗れた〔。
1980年、チームは12勝4敗で地区優勝を果たし彼も平均17ヤードを稼いだ。ディビジョナルプレーオフのミネソタ・バイキングス戦では7キャッチ、1タッチダウンの活躍を見せ、ダラス・カウボーイズとのNFCチャンピオンシップゲームではRBウィルバート・モンゴメリーが194ヤードを走る活躍を見せてスーパーボウル出場を決めた。第15回スーパーボウルの相手はワイルドカードからAFCを勝ち上がったオークランド・レイダーズであった。レギュラーシーズン両チームは対戦しており守備陣の活躍で10-7と勝利していた。彼はチームトップとなる5キャッチで83ヤードを獲得したがチームは多くの反則や相手LBのロッド・マーティンの3インターセプトなどにより敗れた。
1981年、61回のキャッチで1028ヤードを獲得、6タッチダウン、ダラス・カウボーイズ戦では自己最長の85ヤードのTDレシーブをあげた〔〔。ワイルドカードでプレーオフに進出しニューヨーク・ジャイアンツ戦で彼はタッチダウンをあげたがチームは敗れディック・ヴァーミールヘッドコーチはチームを去った〔。
ストライキで短縮された1982年には35回のキャッチで540ヤード、4タッチダウンをあげたがヴァーミールヘッドコーチの去ったチームは3勝6敗に終わった。34歳となった1983年には38回のキャッチで3回のタッチダウンに終わった〔。この年キャリア唯一となる45ヤードのタッチダウンパスを成功させた〔。エースWRの座をマイク・クイックに明け渡した彼はシーズン終了とともに彼はイーグルスを放出された〔〔。
1984年にトレーニングキャンプをホールドアウトしているウェズリー・ウォーカーの代役としてニューヨーク・ジェッツに加入したが、シーズン開幕直前にウォーカーがジェッツと契約を結ぶと開幕ロースター49人の中には残れず、カットされた。その後ダラス・カウボーイズに加入、2試合に出場し1キャッチを記録したが、ついに彼は引退を決意した〔〔。
1984年シーズンまでに当時歴代6位となる590キャッチ、レシーブ獲得8985ヤード、79タッチダウンレシーブの成績を残した〔。現在でもNFL歴代18位のレシーブタッチダウンにランクされている。また当時の新記録となった1980年12月まで127試合連続でパスをキャッチしており、この記録は現在でもNFL歴代6位となっている〔。
プロフットボール殿堂メンバーより、NFL1970年代オールディケイドチームに選ばれている〔〔。
またサザン大学、ルイジアナ州、ジャクソンビルのスポーツ殿堂入りを果たしている〔。
2006年10月、スポーツ・イラストレイテッドポール・ジマーマンヘンリー・エラードマイケル・アービンアンドレ・リードと並んで殿堂入り候補として名前をあげられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハロルド・カーマイケル」の詳細全文を読む




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