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黒江保彦 : ミニ英和和英辞書
黒江保彦[くろえ やすひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 

黒江保彦 : ウィキペディア日本語版
黒江保彦[くろえ やすひこ]

黒江 保彦(くろえ やすひこ、1918年(大正7年)2月17日 - 1965年(昭和40年)12月5日)は、日本陸軍軍人航空自衛官戦闘機操縦者
== 生涯 ==

=== エース・パイロット ===
元陸軍少佐で伊集院町長、黒江敬吉の四男として生まれる。伊集院中学を経て、1938年(昭和13年)6月、陸軍士官学校航空分校を卒業(第50期〔同期には第10代航空幕僚長となる石川貫之がいる。〕)し、航空兵少尉任官。さらに明野陸軍飛行学校で戦技教育を受け、同年10月に卒業。同年11月、飛行第59戦隊(戦隊長今川中佐)附として日中戦争支那事変日華事変)中の漢口飛行場に着任し、航法訓練、編隊飛行、単機戦闘、射撃訓練などの訓練を受けた。
1939年(昭和14年)ノモンハン事件の勃発により、8月29日に飛行第59戦隊は満蒙(現中国・モンゴル)国境の採塩所飛行場に移動する。黒江はソ連労農赤軍機を相手に初めて実戦を経験し、ノモンハン事件停戦の日9月15日の午前、ソ連領内タムスクの爆撃に参加しソ連機I-15を2機撃墜した。停戦後は漢口へ帰還し、広東海南島近海、南寧奥地などを転戦した。
1941年(昭和16年)1月、陸軍航空士官学校教官として着任する。3月、大尉に進級。9月、陸軍航空審査部(部長今川一策大佐)に転任となり、審査部編成の独立飛行第47中隊〔独立飛行47中隊は赤穂浪士47士にちなんだ名で、坂川敏雄隊長、神保進大尉ら9機編成だった。1943年(昭和18年)10月、飛行第47戦隊に改編。〕(通称かわせみ部隊)に編入される。黒江は後に二式単座戦闘機「鍾馗」となる試作重戦闘機キ44を使用し、明野飛行学校や海軍横須賀航空隊に出かけて戦技を磨き研究した。
同年12月太平洋戦争大東亜戦争)開戦に向けて独立飛行第47中隊は南方戦線に移動する。翌1942年(昭和17年)1月から戦闘に参加し、1月15日シンガポール攻略で「鍾馗」による撃墜第1号の戦果をあげ戦闘を継続した。その後タイ、ビルマへ順次前進し、先輩の神保大尉や部下たちとともに戦った。4月、ドーリットル空襲を受け独立飛行第47中隊は内地へ移動。黒江は同中隊を離れ「加藤隼戦闘隊」の異名を持つ飛行第64戦隊へ転属となり、第3中隊長に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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