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鹿又智成 : ミニ英和和英辞書
鹿又智成[かのまた ともなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [また]
  1. (adv,conj,n) again 2. and 3. also 

鹿又智成 : ウィキペディア日本語版
鹿又智成[かのまた ともなり]

鹿又 智成(かのまた ともなり、1979年8月4日 - )は、日本男性総合格闘家東京都昭島市出身。パラエストラ八王子所属。ブラジリアン柔術黒帯。
== 来歴 ==
2002年9月29日、第9回全日本アマチュア修斗選手権ウェルター級(-70kg)に出場、決勝で甘利芳紀を破り優勝を果たした。
2002年11月15日、帯谷信弘戦でプロ修斗デビュー。東日本アマチュア選手権で敗れて以来の再戦だったが、判定0-0で引き分けに終わった〔カリスマも課題も健在。ルミナ、聖地を熱狂で包む BoutReview 2002年11月30日〕。
2003年1月24日、新人王トーナメント1回戦では甘利芳紀に、準決勝は滝田J太郎に共に腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めるも、決勝での帯谷との再戦は開始直後に右フックダウンを奪われTKO負けを喫した〔ウェルター新人王決定戦は圧倒の秒殺劇 BoutReview 2003年11月4日〕。また3月30日にはアブダビコンバット日本予選77kg未満級に出場、雷暗暴、小谷宏明、川尻達也に勝利し決勝に進出するも、決勝では石田光洋にポイント0-2で敗れ、本大会出場を逃す〔慧舟會・岡見、TOPS・石田らが制覇 BoutReview 2003年3月30日〕。
2004年7月4日、修斗で天突頑丈と対戦し、0-0の判定ドロー。
2005年2月6日、修斗のメインイベントで松下直輝との対戦が予定されていたが腰痛のため欠場〔鹿又智成欠場のお詫び X-SHOOTO 2005年1月17日〕。8月、全日本ブラジリアン柔術選手権紫帯レーヴィ級(-73kg)決勝でタクミを破り優勝を果たした。1か月後の9月23日には修斗で美木航に判定勝利を収めた。
2006年にはD.O.G.に出場、2連勝を遂げた後、CAGE FORCEが中心となり発足したワールドワイド・ケージネットワーク(WWCN)に加盟するCage Warriorsに派遣され、ライト級王者アレッシャンドリ・イジドロへの挑戦権を賭けたトーナメントに出場〔鹿又、CWライト級王座挑戦者決定T参戦 BoutReview 2006年10月6日〕。1回戦、準決勝を勝ち上がると、決勝ではヤルッコ・ラートマキを三角絞めで下し優勝を果たした〔鹿又、3連続一本でトーナメント制す BoutReview 2006年11月25日〕。
2007年は4月のCage Warriorsのタイトルマッチが延期となり、CAGE FORCEのライト級王座決定トーナメントに出場〔第1試合に井上克也。メインは門馬 BoutReview 2007年3月1日〕。3月17日の1回戦では"ダイソナー"・ジェームス・シディックに開始直後にダウンを奪いTKO勝利、2回戦では高橋渉に判定勝利を収めた。準決勝のアルトゥール・ウマハノフ戦はCAGE FORCE 04で行われる予定であったがウマハノフが7月にHERO'SでTKO負けしたため休養期間を取り欠場、鹿又も負傷のため欠場しCAGE FORCE EX -eastern bound-に延期となった〔高谷初参戦。ウマハノフ×鹿又延期 BoutReview 2007年7月31日〕。11月11日に行われた準決勝では2Rにウマハノフの頭部が鹿又の鼻にバッティングし負傷、試合続行不能となり怪我をしていないウマハノフが勝者となった〔CAGE FORCE EX -eastern bound- 第9試合の試合経過 スポーツナビ 2007年11月11日〕。
2008年4月5日、CAGE FORCE 06ではウマハノフの王座返上により空位となったライト級王座決定戦で廣田瑞人と対戦し、1RにパウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。その後10月25日にロシアの頭突き有りの大会「World Absolute Fighting Championship」で復帰し、ジャマル・クルバノフに判定勝利。12月6日にはCAGE FORCE 09でエリヤに一本勝ちを収めた。
2009年2月28日、CAGE FORCE EX -eastern bound-児山佳宏に0-3の判定負け。
2009年8月8日、初参戦となったパンクラス赤井太志朗と対戦し、0-1の判定ドロー。
2010年3月7日、SRC初参戦となったSRC12マルロン・サンドロと対戦し、1R開始9秒右アッパーでKO負け〔【SRC戦極】サンチアゴが王座防衛!郷野は危なげなく判定勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年3月7日〕。
2010年11月3日、パンクラスで大澤茂樹と対戦し、0-0の判定ドロー〔【パンクラス】ISAOが強豪ウマハノフを相手に一本勝ち!坂口憲二も祝福だ 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月3日〕。12月5日、パンクラスでアライケンジの引退試合の相手を務め、開始24秒チョークスリーパーで絞め落としレフェリーストップによるTKO勝ちを収めた〔【パンクラス】近藤有己が王座陥落!川村亮、清水清隆はドロー防衛 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月5日〕。
2011年9月4日、フェザー級暫定キング・オブ・パンクラスタイトルマッチでタクミと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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