翻訳と辞書
Words near each other
・ 高野まりえ
・ 高野みどり
・ 高野よしてる
・ 高野アリーナ
・ 高野インターチェンジ
・ 高野ムツオ
・ 高野モニカ
・ 高野一哉
・ 高野一彦
・ 高野万優
高野三三男
・ 高野三方
・ 高野三郎
・ 高野下駅
・ 高野不動産
・ 高野之夫
・ 高野二郎
・ 高野二郎 (化学者)
・ 高野五十六
・ 高野亘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

高野三三男 : ミニ英和和英辞書
高野三三男[こうの みさお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [み]
  1. (num) three 
三男 : [さんなん]
 【名詞】 1. three men 2. third son 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

高野三三男 : ウィキペディア日本語版
高野三三男[こうの みさお]

高野 三三男(こうの みさお、1900年3月30日 - 1979年8月15日)は、東京府東京市深川区(現・江東区)出身のフランスと日本で活躍したアール・デコ様式の画家。
東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を中退後、1921年本郷洋画研究所に入所し、岡田三郎助に師事する。翌年の1922年に東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学する。1924年関東大震災による復興の騒ぎで落ち着いて絵画の制作が出来ないことから同級生の岡田謙三高崎剛、後に妻となる岡上りうらと共に渡仏する。渡仏後は、個展の開催やサロン・デ・ザンデパンダンサロン・ドートンヌサロン・デ・ナショナルなどの展覧会に出品し、フランス画壇に認められるようになる。女性の寝室を描いた絵画(ブドワール・ピクチャー)やコロンビーヌアルルカンといったイタリア喜劇のモチーフを得意とし、1930年フランス政府に買い上げられた《仮面舞踏会の夜》も同様のモチーフと思われる。1940年藤田嗣治とともに帰国。帰国後一水会の会員として、毎年作品を出品し、中心的存在になる。その他にも文展日展等の審査員を歴任し、1954年には現代日本美術展で大衆賞を受賞する。1979年肺血腫のため、品川の病院にて没する。
娘はピアニストの高野耀子
== 主な作品 ==

* 「仮装した薩摩婦人像」(1929年)(東京海上日動火災保険株式会社) ※仏蘭西日本美術家協会展(パリ1回展)出品作品
* 「狐と伴った女性」(1932-1933年)(個人) ※第44回サロン・デ・ザンデパンダン出品作品
* 「うつ伏せる裸婦」(1934年)(プラハ国立美術館
* 「花のある裸婦」(1934年頃)(プラハ国立美術館)
* 「ヴァイオリンのある静物(コンポジション)」(1937年頃)(目黒区美術館
* 「衡陽占領」(1945年)(東京国立近代美術館
* 「レキエ婦人」(1948年)(ひろしま美術館
* 「裸婦」(1974年)(佐久市立近代美術館
* 「帽子の女」(年代不詳)(下関市美術館


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高野三三男」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.