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高梨政高 : ミニ英和和英辞書
高梨政高[たかなし まさたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [なし]
 【名詞】 1. nashi (Japanese pear) 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

高梨政高 : ウィキペディア日本語版
高梨政高[たかなし まさたか]
高梨 政高(たかなし まさたか、応永25年(1418年) - 応仁2年(1468年))は、室町時代後期、戦国時代武将信濃中野を拠点とする名門高梨家当主。父は高梨教秀(または教秀と政高の間に高梨泰盛(やすもり)を挟むという説もある)。子に女子(泉政重正室)、政盛、女子(長尾能景正室?)。摂津守、刑部少輔。
室町幕府第8代将軍足利義政より偏諱の授与を受けて政高と名乗る(のちに子の政盛も同様に一字を賜い、父とされる教秀(のりひで)もかつて義政の父である第6代将軍義教から一字を賜っている)。
信濃中野小館(現在の長野県中野市)の国人領主長禄3年(1460年)の7月に教秀が没したのを受けて当主となった。
この頃の室町幕府は、信濃北半を越後守護上杉房定に兼任させ、信濃南半守護としては小笠原光康を任じた。当時の幕府は享徳の乱を起こした古河公方足利成氏と対立関係にあり、成氏と結んでいた高梨政高も討伐目標の一人であった。
寛正4(1463年)、幕府方は政高を討つため、上杉右馬頭(本名不詳)を大将として高梨領に攻め込ませた。政高率いる高梨軍はこれを高井郡高橋(中野市西条)で迎え撃った。高梨軍は寡兵にも拘らず勝利し、この際に右馬頭を討ちとったとも云われている。
政高はこの戦で、上杉氏に味方した新野朝安大熊高家らの土豪の領地を手中にし、高梨氏の領土は広大になっていった。
== 参考文献 ==

*古川貞雄 編『県史20 長野県の歴史』山川出版社、1997年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高梨政高」の詳細全文を読む




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