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高木隆弘 : ミニ英和和英辞書
高木隆弘[たかぎ たかひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 

高木隆弘 : ウィキペディア日本語版
高木隆弘[たかぎ たかひろ]

高木 隆弘(たかぎ たかひろ、1969年5月20日 - )は、日本の競輪選手東京都台東区出身。日本競輪学校第64期卒業。日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は小門道夫。初出走は1989年8月5日西武園競輪場で初勝利も同日。血液型A。
== 戦績 ==
法政大学第二高等学校在学中は陸上競技を行っていたが、友人である出口眞浩の勧めにより、高校卒業後に日本競輪学校を適性試験で受験し合格する。競輪学校は28位での卒業で、当初は小田原競輪場を練習拠点とした。やがてデビュー直後から素質が開花して活躍を見せ、同期の学校成績上位であった三宅伸有坂直樹と並んで『64期三羽烏』と評されるまでになり、1991年には競輪祭新人王戦で優勝し新人王を獲得すると、1992年には早くも獲得賞金上位で地元開催のKEIRINグランプリに出場している(4着)。
そして1993年には全日本選抜競輪での特別競輪初優勝でトップ選手の仲間入りを果たし、直後に宇都宮競輪場で開催されたオールスター競輪決勝では出口眞浩らと神奈川勢による「法政二高カルテット」を結成して地元の神山雄一郎に対抗したが、最後の直線で神山に交わされ2着となった。しかし同年12月には玉野競輪場で開催されたふるさとダービーも制しており、翌1994年いわき平競輪場で開催されたオールスター競輪決勝では出口眞浩に優勝をプレゼントする形で2着に入っている。
1997年には練習地を平塚競輪場に移動。その後も1998年2001年高松宮記念杯競輪を制しており、2004年に地元の花月園競輪場で開催されたオールスター競輪決勝では、別地区の先行選手である井上昌己と即席ラインを組み、2人でラスト1周付近から後方集団より抜け出したが、直線で井上との一騎打ちに敗れ2着となった。
しかし40歳代を迎えた現在でも大舞台での活躍を続けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高木隆弘」の詳細全文を読む




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