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須田匡昇 : ミニ英和和英辞書
須田匡昇[すだ まさのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [きょう]
 【名詞】 1. correct 2. save 3. assist

須田匡昇 : ウィキペディア日本語版
須田匡昇[すだ まさのり]

須田 匡昇(すだ まさのり、1973年7月24日 - )は、日本男性総合格闘家兵庫県洲本市出身。CLUB J所属。柳学園高等学校国際武道大学出身。柔道三段。元修斗世界ライトヘビー級王者。
== 来歴 ==
1998年3月28日、フランスで開催されたGolden Trophy 1998でオヘリアン・デュアルテと対戦し、跳びつき腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。Golden Trophyに初めて出場した日本人となった〔Column 「花の都のDREAM TEAM」前篇 MMAPLANET 2011年2月7日〕。
1998年8月29日、修斗ライトヘビー級(-83kg)チャンピオンシップで王者エリック・パーソンに挑戦し、マウントパンチでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2002年1月12日、修斗ライトヘビー級王座決定戦でランス・ギブソンと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した〔[修斗] 淡路島の星・須田、ライトヘビー級王者に/1.12 後楽園 BoutReview 2002年1月12日〕。
2002年12月8日、DEEP初参戦となったDEEP2001 7th IMPACTで長南亮と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた〔[DEEP2001] 12.8 ディファ:手負いの長南、修斗王者・須田と接戦 BoutReview 2002年12月8日〕。
2003年5月10日、ハワイで行われた修斗世界ライトヘビー級・SuperBrawl世界ミドル級王座統一戦でイーゲン井上と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座統一と初防衛に成功した。
2003年9月15日、DEEPミドル級(-82kg)タイトルマッチで王者上山龍紀に挑戦し、1-0の判定ドローで王座獲得に失敗した〔[DEEP] 9.15 大田区:長南亮、武士道直前のマッハを粉砕 BoutReview 2003年9月15日〕。
2004年7月9日、ハワイで行われた修斗世界ライトヘビー級王座防衛戦でダスティン・デニスと対戦し、1-0の判定ドローで2度目の防衛に成功した。
2005年4月9日、ハワイで行われたSuperBrawl世界ミドル級タイトルマッチでファラニコ・ヴァイタレと対戦し、1R左ストレートでKO負けを喫し王座陥落した。
2005年9月25日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の九-のウェルター級(-83kg)トーナメント1回戦でムリーロ・ブスタマンチと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。
2006年2月17日、修斗代々木大会で引退(引退式のみ)。同時にコミッショナーの浦田昇に修斗世界ライトヘビー級王座の返還とライセンスの返上を申し出た〔現役世界チャンピオンの須田匡昇が引退 SHOOTO GAZETTE 2006年2月28日〕〔須田引退式でライバル郷野が修斗復帰を示唆 BoutReview 2006年2月24日〕。2006年2月26日付けで引退〔。
2006年7月8日、総合格闘技大会「Move On Kings!」に「SUDA」のリングネームで出場し、瓜田幸造と総合格闘技ルールのエキシビションマッチを行った〔[Kings] 7.8 ディファ:修斗引退の須田、改名しエキシビジョン BoutReview 2006年7月9日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「須田匡昇」の詳細全文を読む




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