翻訳と辞書
Words near each other
・ 須田剛一
・ 須田剛史
・ 須田努
・ 須田勉
・ 須田勝也
・ 須田匡昇
・ 須田千里
・ 須田博
・ 須田哲夫
・ 須田喜照
須田国太郎
・ 須田孝司
・ 須田実
・ 須田寛
・ 須田實
・ 須田年生
・ 須田幸太
・ 須田康夫
・ 須田慎一郎
・ 須田慎太郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

須田国太郎 : ミニ英和和英辞書
須田国太郎[すだ くにたろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

須田国太郎 : ウィキペディア日本語版
須田国太郎[すだ くにたろう]
須田 国太郎(すだ くにたろう、1891年6月6日 - 1961年12月16日)は洋画家京都市出身。重厚な作風と東西技法の融合に特色。
== 略歴 ==

*1891年(明治24年) - 京都市中京区で生まれる
*1910年(明治43年) - 第三高等学校在学中、独学で絵を描き始める
*1916年(大正5年) - 京都帝国大学哲学科(美学美術史)を卒業して大学院に進む
*1917年(大正6年) - 関西美術院に入ってデッサンの勉強にも励む
*1919年(大正8年) - 渡欧。マドリードを拠点に各地を旅しつつ、スペイン美術及びヴェネツィア派を研究
*1923年(大正12年) - 4年の遊学後32歳のとき帰国。京大美学会に参加するとともに、高等学校の講師をするかたわら制作に励む。帝展に落選
*1931年(昭和6年) - 長男・寛誕生
*1932年(昭和7年) - 41歳のとき東京銀座資生堂画廊で、初めて個展を開く
*1933年(昭和8年) - 独立美術京都研究所の開設に伴い、学術面の指導者として招かれる
*1934年(昭和9年) - 独立美術協会会員となって制作活動も本格化、渡欧で得た成果を糧に独自の重厚な作風を確立
*1947年(昭和22年) - 日本芸術院会員に就任
*1950年(昭和25年) - 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)教授に就任
*1956年(昭和31年) - 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに「法観寺塔婆」などを出品
*1961年(昭和36年) - 70歳で没

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「須田国太郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.