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隈部氏 : ウィキペディア日本語版
隈部氏[くまべし]

隈部氏(くまべし)は、中世山鹿市一帯を支配した肥後国国人大和源氏宇野親治の子孫と称した隈部持直が一族を率いて肥後国に下向し、菊池氏に受け入れられて同国鹿本郡上水野郷隈部(現・熊本県山鹿市菊鹿町に土着し、米山城に依拠したと伝えられている。自他ともに菊池氏の重臣と目され、赤星氏城氏とともに菊池三家老と称されたが、主家の没落とともに独立するようになった。
==勃興==
1264年(文永元年)に上記の持直が菊池武房から隈部姓を与えられ、代々菊池氏に忠誠を尽くし南北朝時代の戦いなどに従軍したが、菊池氏一族内に家督争いが発生するようになると、主家家督の廃嫡に大きな影響力を持つようになった。豊後国守護大名大友氏が菊池氏家督に触手を伸ばすと、その実現に貢献した。
1559年(永禄2年)隈部親永のとき隈府城に拠る赤星親家合勢川の戦いで破ってさらに勢力を伸ばし、1578年(天正6年)耳川の戦い島津氏に大敗した大友氏を見限り、新たに肥前国戦国大名龍造寺氏と結んで親家の子赤星統家を攻めて追放、現菊池市一帯をも領有するようになる。その最大所領は約5,000町(3万石~6万石)におよび肥後国北部最有力の国人にのし上がった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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