翻訳と辞書
Words near each other
・ 阿部香菜
・ 阿部高和
・ 阿部麻美
・ 阿部齊
・ 阿部龍
・ 阿部龍二郎
・ 阿里
・ 阿里不哥
・ 阿里地区
・ 阿里山
阿里山丸
・ 阿里山公路
・ 阿里山号
・ 阿里山山脈
・ 阿里山森林鉄路
・ 阿里山森林鉄路の蒸気機関車
・ 阿里山森林鉄道
・ 阿里山森林鉄道の蒸気機関車
・ 阿里山登山鉄道
・ 阿里山線


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

阿里山丸 : ミニ英和和英辞書
阿里山丸[ありさんまる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 
里山 : [さとやま]
 【名詞】 1. (1) undeveloped woodland near populated area 2. (2) settlement pattern of living in upland valleys and cultivating lower slopes
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 

阿里山丸 : ウィキペディア日本語版
阿里山丸[ありさんまる]

阿里山丸(ありさんまる)は、太平洋戦争中に日本で建造された戦時標準型貨物船。船主は三井船舶。いわゆるヘルシップとして日本軍の捕虜となったアメリカ兵を移送中、南シナ海アメリカ海軍潜水艦により撃沈された。乗船捕虜約1800人のほとんどは死亡し、1隻の船の戦没で発生したアメリカ人の死者数として最多の事例となった。
== 船歴 ==
本船は、第二次戦時標準船2A型(改A型)の14番船として、玉造船所(現:三井造船玉野工場)で建造された〔。形式的な発注者は戦時統制団体の産業設備営団であるが、実質的な船主は三井船舶である〔。船名の「阿里山丸」は、三井船舶所有船の「○山丸」という命名慣例に沿っている〔岩重(2011年)、23頁。〕。2A型は第二次戦時標準船の代表格というべき大型貨物船である。建造を容易にするためブロック工法に適した直線的な外観で設計され、二重底の廃止・スクリュー軸の短い船尾機関式の採用など性能低下を忍んだ徹底的な簡易設計に特徴がある〔。2A型の搭載機関は船によって多様であるところ、本船は艦本式タービン甲25型1基を積み、最高速力13ノットだった〔。自衛武装として、短二十糎砲1門と爆雷4発を装備している〔。
1944年(昭和19年)6月22日に竣工した「阿里山丸」は、民需用が建前の船舶運営会使用船となった〔船舶警戒部長 海軍中将 宮里秀徳 「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 自昭和十九年六月十七日至昭和十九年十月二十四日 阿里山丸」『大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第六回』 JACAR Ref.C08050039200、画像37-38枚目。〕。軍の徴用を受けないまま軍事輸送に従事する陸軍配当船としても行動している〔。最初の航海は、樺太北小沢炭鉱産の石炭輸送で、6月29日に門司を出港した〔。7月5日に北小沢に到着して石炭を積み取り、船川港を経て伏木港で荷を下ろしている。門司に戻った後、沖縄本島への部隊・兵器の輸送に充てられ、8月1日に出航。8月6日に鹿児島港護送船団のカタ626船団(輸送船15隻・護衛艦12隻)へ加入し〔駒宮(1987年)、225頁。〕、9日に那覇港へ到着。帰路はドラム缶と人員を積んで、やはり鹿児島経由で8月28日に門司へ戻った〔。
当時、日本軍はフィリピン方面の防備強化が急務となっており、「阿里山丸」もフィリピンへの軍事輸送に投入されることとなった。「阿里山丸」は、8月30日から9月2日に釜山港でフィリピンへ向かう増援部隊を乗船させた〔。門司でミ船団の一つであるミ19船団(輸送船18隻・護衛艦6隻)に加入し、9月9日に経由地の高雄港へ向けて出航する〔駒宮(1987年)、252-253頁。〕。翌10日にタンカー「千早丸」(日本郵船:4701総トン)がアメリカの潜水艦サンフィッシュの魚雷により撃沈されたため〔Cressman (1999) , p. 537. 〕、本船は他の船とともに珍島沖へ一時退避した後、18日に高雄へ到着した。ここでミ19船団と分かれて9月26日に出港、ルソン島北岸とサンフェルナンドを経由して、10月4日にマニラへ到着した〔。
揚陸を終えた「阿里山丸」は、日本への帰路では、乗船を沈められて滞留中の日本船員204人とアメリカ兵捕虜1781人などを輸送することになった〔陸軍運輸部残務整理部 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』 JACAR Ref.C08050112500、画像38枚目。〕。日本軍は、アメリカ軍の上陸に備え、フィリピン所在の捕虜の日本本土移送を活発化させていた。捕虜収容所などから9月下旬に旧ビリビッド刑務所へ集められていた捕虜が〔三輪(2007年)、242頁。〕、護送隊40人とともに「阿里山丸」へ乗船した〔。捕虜の乗船時期は、ウィリアム・ボーエンの調査によると10月10日以前である〔。しかし、『徴傭船舶行動概見表』に捕虜輸送として記載されているのは10月20日以降の航海だけである〔。レイテ島の戦いと関連したアメリカ軍機動部隊のマニラ空襲を避けるため、「阿里山丸」は10月10日にマニラを出港してパラワン島バキット湾へ18日まで退避した〔。19日にマニラへ戻った「阿里山丸」は、物資を補充後、マタ30船団(春風船団)へ加入して10月20日に出航した〔。しかし、高雄へ向かう途中、次に述べる通り竣工からわずか4カ月余りの10月24日に撃沈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阿里山丸」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.