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阿部正功 : ミニ英和和英辞書
阿部正功[あべ まさこと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

阿部正功 : ウィキペディア日本語版
阿部正功[あべ まさこと]

阿部 正功(あべ まさこと、安政7年1月23日1860年2月14日) - 大正14年(1925年9月11日)は、日本の武士、大名、華族陸奥棚倉藩阿部家の第2代藩主。白河藩阿部正耆の次男。正室は徳大寺公純の娘。子に要子(阿部正寛室)〔学習院大学史料館、P395。〕、直子(阿部正直室)。忠秋系阿部家17代。幼名は光之助、基之助。官位は棚倉藩知事従二位子爵
父の正耆が老齢になってから生まれた息子だったため、はじめは父の跡を継ぐことができず、分家から阿部正外家督継承、子の阿部正静に受け継がれた。しかし慶応4年(1868年)の戊辰戦争で正静が旧幕府側に与してしまったために強制隠居となり、同年12月14日に4万石減封の6万石で家督相続を許された。明治2年(1869年)6月の版籍奉還藩知事となった後、人材登用や藩校修道館の再興などの藩政改革に努めたが、明治4年(1871年7月14日廃藩置県で免官される〔藩主人名事典編纂委員会、P110。〕〔学習院大学史料館、P393。〕〔白河市、P395 - P396。〕。
慶應義塾に学び(『慶應義塾入社帳 第1巻』596項)子爵となり、麻布一帯の大地主や第十五銀行の大株主となった。大正14年(1925年)9月11日に死去。享年66。旧佐土原藩主・島津忠亮の三男を婿養子に迎え、阿部正寛として後を継がせた。
墓所は東京都台東区蔵前の西福寺。法名は昭徳院殿円誉輝堂正功。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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