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阪谷芳郎 : ウィキペディア日本語版
阪谷芳郎[さかたに よしろう]

阪谷 芳郎(さかたに よしろう〔読みは『平成新修旧華族家系大成』『議会制度七十年史』による。〕、文久3年1月16日1863年3月5日) - 昭和16年(1941年11月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。子爵法学博士岡山県美星町(現井原市)出身。大蔵大臣東京市長貴族院議員等を歴任。
曾孫久美子は元首相橋本龍太郎夫人。
== 経歴 ==
幕末に開国派として活躍した漢学者、阪谷朗廬(ろうろ)の4男として生まれる。
東京帝国大学政治科を卒業後、大蔵省入省。日清戦争では、大本営付で戦時財政の運用にあたり、1903年には大蔵次官1906年には大蔵大臣第1次西園寺内閣)を務めた。1907年9月、日露戦争の戦費調達などの功績により男爵が授けられる。1912年7月から1915年2月まで東京市長を務めた。市長在任中に、明治神宮明治神宮野球場の造営や乃木神社の建立に尽力した。
1917年1月には貴族院男爵議員に選ばれ〔『官報』第1345号、大正6年1月29日。〕、その死去まで在任した。1919年、男爵議員による貴族院院内会派公正会の結成に際しては、幹事の一人を務めている。1941年4月には、紀元二千六百年奉祝事業に尽力したことが功績とされ、子爵に陞爵した。
専修大学にも教員として出講し、学長を歴任。創設者の一人で初代学長だった相馬永胤死後の大学運営を取り仕切った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「阪谷芳郎」の詳細全文を読む




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