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関光徳 : ミニ英和和英辞書
関光徳[せき みつのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

関光徳 : ウィキペディア日本語版
関光徳[せき みつのり]

関 光徳(せき みつのり、1941年1月4日 - 2008年6月6日)は、日本の元プロボクサーおよびプロボクシングプロモーター経験者。東京都北区出身。元OBF東洋フェザー級王者。横浜光ボクシングジム初代会長。
== 来歴 ==

=== 現役時代 ===
世界ミドル級チャンピオンであったロッキー・グラジアノの半生を映画化した「傷だらけの栄光」に興奮した友人のボクシングジム入門に付き添っていったところ、つい自分も入門してしまったという。
1958年、新和ボクシングジム(新和拳)からフライ級でデビューしたが初戦は黒星。同じジムの同じ階級の先輩に後に日本ボクシングコミッション審判部長となる森田健日本プロボクシング協会会長も務める木村七郎とはスパーリングで切磋琢磨しあった。しかしアジアの強豪を次々に破り、デビューから2年半後の1961年6月27日、遂に世界初挑戦のチャンスを掴み、世界フライ級チャンピオンポーン・キングピッチ()に挑戦。減量に苦しむ関はキングピッチの老獪なボクシングに強打を封じられ、判定負けで王座獲得ならず〔82頁下段〕。
次戦でバンタム級に転級し、1961年8月31日、世界ランカーのジョー・メデルと再起戦を行うも5回にカウンターを受けKO負け。以後は階級をフェザー級に上げ、1962年9月12日、ベラニド・チャルムーン()に12回判定勝ちしOBF東洋フェザー級王座を獲得し、この王座は、徐強一()、ジョニー・ハミト()などの強豪らから12度防衛に成功した。
1963年は、年間11試合を行い全勝(8KO)、この余勢をかって1964年3月1日、東京:蔵前国技館で世界フェザー級王者シュガー・ラモス()に挑戦した.
近年映像が発掘されラモスの目を切ったりいいパンチをあてるなど善戦していた。目を切ったあたりから調子が崩れ2回倒されたところでで特別招聘していたデビームーアのセコンドベンサム氏が試合の棄権を申し出て試合が終了した6回KO負け〔187頁上段〕。この試合の後、再起戦でも小林弘(中村)に10回判定負けするなど一時スランプであったが、その後復調し、1966年8月7日、ラモスをKOし王座についていた「メキシコの赤い鷹」ビセンテ・サルディバル()に敵地で挑戦するチャンスを掴んだ。この試合では、左でダウンを奪うも15回判定負け〔187頁下段〕。翌年1月29日の再戦でも7回KO負け〔188頁上段〕するなど、フライ級時代を含め4回の世界王座挑戦も戴冠することはできなかった。
サルディバルの王座返上を受け、関は1968年1月23日、英国:ロンドンにて5度目の世界王座挑戦となったハワード・ウィンストン()とのWBC世界フェザー級王座決定戦を戦ったが、9回TKOで敗退し現役引退した〔188頁下段〕。この試合は、当時JBCがまだWBCを認定していなかったため、国内でのWBCタイトル戦が挙行できず、敵地での開催となったものであり、試合がほぼ互角で進んだ9回に、関が右目の上に軽い傷を負い、レフェリーが試合を中断しリングドクターに見せようとしたところ、ストップと勘違いしたウィンストンのファンがリングになだれ込んで収拾がつかなくなり、うやむやのうちに関のTKO負けになってしまった。関に同行していたトレーナーの一人は、リングサイドで観戦していた前王者のサルディバルが、この措置に大声で「カブロン!」と何度も抗議していたのを目撃している。カブロンはスペイン語で「バカ野郎」。
稀代の名刀になぞらえ「名刀正宗」と呼ばれた〔左ストレート、右フックの強打を武器に計5度の世界タイトルを戦ったが、遂に世界制覇はならなかった。当時の知名度は現在の世界チャンピオン以上であり、普段は腫れぼったい眠そうな眼をした優男でありながら、試合になると必殺の強打を振るうイメージから、人気時代劇映画の主人公になぞらえ「眠狂四郎」の異名を取った。グローブを交えた世界チャンピオン3人がいずれ劣らぬ歴史的強豪だったという事情から、「悲運のボクサー」の筆頭に挙げられることも多い名選手である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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