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金旋 : ミニ英和和英辞書
金旋[きん せん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 

金旋 : ウィキペディア日本語版
金旋[きん せん]
金 旋(きん せん、? - 209年)は、中国後漢末期の人物。元機雍州京兆郡の出身。前漢のの末裔。子は金禕。『蜀志』先主伝が引く『三輔決録』に記述されている。
==事跡==
朝廷に仕えて、黄門郎・漢陽太守などを歴任した。
その後は議郎、次いで中郎将に任じられた。このとき、中郎将と兼任して武陵太守にも任じられたが、劉備軍に攻められ戦死した。荊州南部の太守ら(金旋・劉度韓玄趙範)は相次いで劉備に降伏するか敗死したが、彼らが荊州に土着していた記録はない。おそらく劉琮の降伏後、曹操に派遣された太守である可能性が高い。ところが赤壁の戦いに曹操が敗れたため、それぞれ孤立してしまい劉備軍に制圧されたものと思われる。
218年、子らは許昌で反曹操の兵を挙げるが失敗、一族を滅亡させてしまった。子らが反乱の際に頼りとしたのは、皮肉にも父を殺した劉備であった〔この時の金禕らの計画は、献帝を擁して許昌に籠城し、劉備・孫権の援軍を待つというものだった。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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