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野田氏 : ミニ英和和英辞書
野田氏[のだし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

野田氏 : ウィキペディア日本語版
野田氏[のだし]

野田氏(のだし)は日本武家
ここでは室町時代戦国時代に活動した関東野田氏について解説する。野田氏は主に下総国古河城および栗橋城を根拠とした。鎌倉公方古河公方の家臣であり、特に古河公方の時代には簗田氏と並ぶ重臣であった。

== 概要 ==
『野田氏家系図』および『頼印大僧正行状絵詞』〔例えば、『野田家文書』 No.3〕 によれば、野田氏は尾張国熱田神宮宮司藤原氏藤原南家)を起源とし〔『古河市史通史編』154 – 156 頁(古河城主野田氏)〕 〔太田亮『姓氏家系大辞典』では、「桓武平氏簗田氏族、平維茂の裔にして下野国簗田郡野田邑より起こる」としている。(『古河市史通史編』155 頁)〕、のちに関東に移り、木戸氏とともに鎌倉府奉公衆宿老となった〔 〔『野田家文書』 No.6 群書類従本「殿中以下年中行事」。
すなわち至徳3年(1386年)、下総国下河辺荘鎌倉公方御料所となった〔『頼印大僧正行状絵詞』による。例えば、『古河市史資料 中世編』No.1521〕際に、公方家の家臣として下河辺荘・古河城に入る。〔
享徳3年(1454年)に始まる享徳の乱で、第5代鎌倉公方・足利成氏が古河に移座して古河公方となった後は栗橋城に移り、家臣として支えてきたが、公方家の内訌に連動して一族間に分裂と抗争が生じ、次第に弱体化して 〔佐藤博信「野田家文書の伝来と現状」『野田家文書』、9-16頁。 なお本稿は、佐藤博信 『中世東国の権力と構造』、校倉書店、2013年、281-300頁 にも収録。〕 居城である栗橋城も失った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野田氏」の詳細全文を読む




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