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鄭夢周 : ミニ英和和英辞書
鄭夢周[ちょん もんじゅ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ゆめ]
 【名詞】 1. dream 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)

鄭夢周 : ウィキペディア日本語版
鄭夢周[ちょん もんじゅ]

鄭 夢周(チョン・モンジュ、てい むしゅう、1337年 - 1392年)は、高麗末の儒学者である。号は圃隠。
慶尚北道の生まれ。朱子学を学び、科挙首席で及第した。高麗末の内憂外患の中、軍人李成桂(のちの李氏朝鮮王朝太祖)らとともに女真倭寇(前期倭寇)の征伐に参加し、功績を立てる。1377年には日本に赴き、室町幕府の九州探題である今川貞世(了俊)と折衝にあたる。倭寇禁圧を約束させ、高麗人の解放を果たしたが、その人物と詩文が日本人の尊敬を集めたといわれている。
1388年、李成桂がクーデターを起こし政権を掌握すると、彼とともに新王の恭譲王を支えたが、禅譲を受けて李氏朝鮮を開こうとする李成桂と対立したため、李成桂の子・李芳遠(のちの太宗)の手により善竹橋で暗殺された。
鄭夢周は教育にも力を注いで多くの弟子を育成したので、のちに「東方理学之祖」と称えられた。
category:朝鮮の儒学者



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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