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近鉄900系 : ミニ英和和英辞書
近鉄900系[きんてつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

近鉄 : [きんてつ]
 【名詞】 1. (abbr) Kinki Nippon Tetsudou (railway co.) 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [けい]
  1. (n,n-suf) (1) system 2. lineage 3. group 4. (2) type of person 5. (3) environment 6. (4) medical department (suf) 

近鉄900系 ( リダイレクト:近鉄900系電車 ) : ウィキペディア日本語版
近鉄900系電車[きんてつ900けいでんしゃ]

近鉄900系電車(きんてつ900けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道(近鉄)が保有した通勤形電車の一系列。

== 概要 ==
1961年に製造された奈良線最初の大型車両である。6800系ラビットカーで採用された片側両開き4扉・2個1組の大きなサッシュレス下降窓の車体を踏襲しつつも、この車両から最大幅2800mmの裾を絞った車体を採用し、また全室運転室、電気連結器なども本格的に採用して、8000系をはじめ、後の近鉄車両の雛型となった車両である。登場時は、新生駒トンネル開通前のため、八戸ノ里検車区に所属となり、上本町 - 瓢箪山間の各駅停車用として限定運用された。
主電動機は補償巻線付の日立製作所HS-833-Frb(901 - 906)および三菱電機MB-3064AC(907 - 912)〔いずれも定格出力は端子電圧270V時115kW/1,250rpm、端子電圧340V時145kW/1,575rpm。600V時代の端子電圧が270Vと非常に低く抑えられていることが示す通り、生駒越えの連続下り勾配区間での電制失効を防ぐために可能な限りの手立てがとられていたことが判る。また、補償巻線の追加は電機子の反作用を抑止し、最弱め界磁率を15%まで引き上げることが目的であった。なお、三菱MB-3064ACはその後特急車の10400・11400系にも改良の上で採用されている。〕を搭載、制御装置はバーニア抵抗制御による超多段式の日立製作所VMC-LHTB20A〔回路中のリミッタ・リレーなどを廃して磁気増幅器(マグアンプ)で置き換え、可能な限り無接点化が進められていた。なお、昇圧時には直並列接続を力行時永久直列に組み替えて対処している。〕を使用し、スムーズな加速を実現した。M(電動車)T(付随車)同数の編成で起動加速度3.0km/h/sと、平坦線釣合速度120km/hを両立している。歯車比は、8800系まで奈良線系通勤車の標準となる5.31とした。
台車はモ900(Mc)はKD-36Eを、ク950(Tc)の951 - 956はKD-36Fを、957 - 962はKD-51Aをそれぞれ使用している。
ブレーキは当時の近鉄通勤車の標準に従い、電制常用のHSC-D電磁直通ブレーキであるが、常用自動部が省略〔新造時よりA動作弁が非常弁に置き換えられた状態となっており、自動空気ブレーキのみを搭載する800系等の在来車との併結は不可能であった。つまり、実質的にはSMEEブレーキ相当となっていたことになる。〕されている。
当初は、cM+Tc+Mcの3両編成だったが、1963年に4両編成化のためTc(制御車)が増備され全車Mc、Tcの2両編成になった。このため難波京都寄りからモ900偶数車(Mc)+ク950(951 - 956)(Tc)と、同じく難波・京都寄りからク950(957 - 962)(Tc)+モ900奇数車(Mc)と、Mc車の番号末尾で向きが異なった。
この増備車(ク957 - 962)では台車を揺れ枕吊りを線路方向にスイングする短リンク式のKD-36系から、枕木方向にスイングする長リンク式〔一般通勤車用としては南大阪線向けモ6850形2次車用KD-39で初採用された方式で、揺動周期が長くなるため乗り心地が改善される。〕を用いるKD-51Aへ、前面窓の支持方式をHゴムから押さえ金具式へ、それぞれ変更している。
1964年の新生駒トンネル・新向谷トンネル開通後は座席指定料金不要の特急(現在の快速急行に相当するもの)にも広く使用され、奈良まで乗り入れるようになった。コンプレッサー・電動発電機は当初Mcに設置されていたが、昇圧準備工事によりTcに移設され、昇圧後にはMcのパンタグラフは2個から1個に変更された。その際、奈良線の1500V昇圧とともに8000系に編入する計画もあったが、実現せずそのままの系列で残った〔8000系の車両番号が8021から始まっているのはその理由からである。〕。昇圧後は、京都線の運用が多くなり、さらに橿原・天理線にも活用の幅が広がっていった。
なお、大型高性能車ながら900系と3桁の形式になったのは、当時奈良線など600V線で使用する車両は3桁の形式にする取り決めごとがあったためである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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