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趙友鳳 : ミニ英和和英辞書
趙友鳳[ちょう ゆうほう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
: [ほう]
 【名詞】 1. mythical Firebird God (sometimes erroneously associated with 'phoenix') 2. male Hinotori

趙友鳳 : ウィキペディア日本語版
趙友鳳[ちょう ゆうほう]

趙友鳳(ちょう ゆうほう、英 Zhao Youfeng、1965年5月5日 - )は、中国の元陸上競技選手(長距離)。1980年代末から1990年代初めにかけて女子マラソンでアジアのトップランナーであった。
== 人物・来歴 ==
中国・江蘇省出身。1986年、江蘇省と友好関係にある愛知県から陸上競技の指導のために派遣された竹内伸也(当時愛知教育大学陸上部監督)に才能を見いだされ、日本に陸上留学する。来日当初は竹内の自宅に住み込み、競技と生活の両面で指導を受けた。のちに愛知教育大学大学院に進学。
1988年3月、名古屋国際女子マラソンに出場。当時はまったくの無名選手であったが、レースでは連覇をねらったオランダカーラ・ビュースケンスとの競り合いに勝って、マラソン初優勝を遂げる。ゴールタイムの2時間27分56秒は、1月の大阪国際女子マラソン宮原美佐子が樹立したばかりの記録(2時間29分37秒)を、1分半以上も上回るアジア女子最高記録であった。この成績により、中国のソウルオリンピック女子マラソン代表に選出される。
同年9月のソウルオリンピック本番でも、20位台の日本の選手を尻目に終盤まで優勝を争い、五輪メダル獲得はならなかったが2時間27分06秒の自己ベスト記録で、アジアの女子マラソン選手としては初めてとなる5位入賞を果たした。
名古屋国際女子マラソンでは翌1989年でも2時間28分20秒で優勝、大会初の2連覇を達成。故国中国で開催された1990年9月の北京アジア競技大会でも、日本代表の荒木久美を抑えて2時間35分15秒のタイムで金メダルになる。
大学院修了後は、竹内が監督を務める東海銀行の陸上部に進む。しかし、外反母趾を持病として抱えるようになる〔【マラソン】土佐、右足激痛で失速 中日新聞2008年8月18日〕。治療のため手術も受けたが、以前のような好成績をあげることはできず、1995年に名古屋国際女子マラソンの完走(2時間40分45秒・25位)を最後に、競技から退いた。引退後もコーチとして東海銀行(のちUFJ銀行)の陸上部に所属し、世界陸上選手権代表となる大南博美敬美双子姉妹などを指導。この間結婚し、2000年に出産を理由にUFJ銀行を退社。
2001年より至学館高等学校陸上部で指導。2008年よりスズキの陸上競技部コーチに就任し、2010年に同部が企業直属の実業団チームからクラブチームであるスズキ浜松アスリートクラブへと体制が変更された後も指導を続けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「趙友鳳」の詳細全文を読む




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