翻訳と辞書
Words near each other
・ 賀数交差点
・ 賀斉
・ 賀春
・ 賀来の騒動
・ 賀来佐賀太郎
・ 賀来千香子
・ 賀来敦子
・ 賀来正綱
・ 賀来治綱
・ 賀来賢人
賀来鎮綱
・ 賀来鑑綱
・ 賀来飛霞
・ 賀来駅
・ 賀東招二
・ 賀正
・ 賀泥
・ 賀状
・ 賀狄干
・ 賀田


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

賀来鎮綱 : ミニ英和和英辞書
賀来鎮綱[つな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [らい]
 【名詞】 1. since (last month) 2. for (10 days) 3. next (year) 

賀来鎮綱 : ウィキペディア日本語版
賀来鎮綱[つな]
賀来 鎮綱(かく しげつな、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代武将大友氏家臣由原八幡宮大宮司官途刑部少輔法名道仙。母は宮千代女。妻は大友義統の養女(実は田北大和守鑑鎮の娘)。子に賀来正綱
==概要==
神職にありながら武勇と兵術を好み、武将として活躍。忠節の志の深い人物で、大友宗麟の密旨を受けて偽って島津氏に降り、敵情を探った。豊薩合戦の際には島津勢の将として参加して、敵の戦略を一々、丹生島に密告した。島津勢の大将島津家久はこれに気付き、鎮綱親子を招集して詰問するが、剛胆をみせて難を切り抜けた。天正15年(1587年)3月の豊後撤収まで家久の陣中にあり、退却する島津勢を山間部で伏兵で襲い、首級を多く挙げた。これを丹生島に送って実検を受けて宗麟より激賞され、朱印状を賜った。豊臣秀吉九州征伐に出陣すると、鎮綱は島津氏に一旦降ったことで吟味されるが、内通して働いたその忠節を秀吉よりも賞されて、感状を受けた。
その後、文禄・慶長の役にも出陣し、同戦役での不手際で大友義統が秀吉によって改易されると牢人になり、豊後国を出る際に鎮綱は義統に二君に仕えないと堅く約束した。に来てからは、家伝武芸を指南した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「賀来鎮綱」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.