翻訳と辞書
Words near each other
・ 谷汲踊
・ 谷汲踊り
・ 谷汲鉄道
・ 谷汲鉄道デロ1形電車
・ 谷汲鉄道デロ7形電車
・ 谷汲駅
・ 谷沢みき
・ 谷沢ベースボールコミュニティ千葉
・ 谷沢久之
・ 谷沢伸幸
谷沢健一
・ 谷沢史紀
・ 谷沢寿一
・ 谷沢川
・ 谷沢弘毅
・ 谷沢恵里香
・ 谷沢永一
・ 谷沢生季
・ 谷沢直
・ 谷沢竜蔵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

谷沢健一 : ミニ英和和英辞書
谷沢健一[やざわ けんいち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [いち]
  1. (num) one 

谷沢健一 : ウィキペディア日本語版
谷沢健一[やざわ けんいち]

谷沢 健一(やざわ けんいち、1947年9月22日 - )は、千葉県東葛飾郡柏町(現:柏市)出身の元プロ野球選手。現在は野球解説者。左投左打、主なポジションは一塁手左翼手
現役時代は中日ドラゴンズで17年間主軸打者として活躍し、引退後はフジテレビ東海テレビ東海ラジオの解説者、西武ライオンズの打撃コーチを歴任した。
== 経歴 ==

=== プロ入りまで ===
千葉県の習志野市立習志野高等学校では2年生からレギュラーとなり、控え投手もこなす。2年生のときには、津田沼から谷津遊園の区間で東京オリンピック聖火ランナーを務めている〔64年東京五輪 野球の国際化、五輪で 谷沢健一さん(68) - 毎日新聞2015年11月4日(聖火の記憶)〕〔祝・柏市体協50周年! - 谷沢健一のニューアマチュアリズム(2006年2月28日、本人ブログ)〕。また、公開競技としておこなわれたオリンピックの野球(大学選抜チーム)の日本対アメリカ戦を神宮球場で観戦した〔。3年生時の1965年、夏の甲子園予選東関東大会の県予選準決勝に進出するが、銚子商木樽正明投手に完封され大敗。甲子園出場はならなかった。銚子商は甲子園で準優勝。高校同期に阪急入りした斎藤喜内野手がいる。
一般入試で早稲田大学第二文学部社会専修に入学。東京六大学リーグでは、レギュラーに定着した2年生の1967年春季リーグで首位打者を獲得するなど、東京六大学を代表する左の強打者として活躍。1968年秋季リーグでは田淵幸一らのいた法大に競り勝ち優勝。第7回、第8回アジア野球選手権大会の日本代表に選出されている。史上屈指の打者と言われた師匠石井藤吉郎をして「俺が見た中で早大史上最高の左打者」とまで言わしめた(石井も左打者だった)。六大学打撃10傑の常連で大学通算打率.360を記録、ベストナインに6度選ばれた。同期の荒川尭遊撃手とのコンビは“早稲田のON砲”と呼ばれたが、その名にふさわしく両者合計37本の本塁打を放った。4年時には主将。リーグ通算82試合に出場し308打数111安打、18本塁打、63打点、打率.360。1970年3月、早稲田大学第二文学部社会専修卒業、学位は、文学士。
1969年のドラフト1位で中日ドラゴンズに外野手として入団(背番号:14)。意中の球団は巨人であったが、石井に相談したところ「セの球団だし行ってはどうか」とアドバイスを受けた。この年、早稲田大学からは大洋ホエールズに荒川尭、読売ジャイアンツ小坂敏彦投手、阿野鉱二捕手が入団。その後も千藤三樹男外野手、安田猛投手、小田義人一塁手と同期のプロ入りが続き、最終的には谷沢を含め同期計7人がプロ選手となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷沢健一」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.