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谷川健一 : ミニ英和和英辞書
谷川健一[たにがわ けんいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

谷川 : [たにがわ]
 【名詞】 1. mountain stream 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [いち]
  1. (num) one 

谷川健一 : ウィキペディア日本語版
谷川健一[たにがわ けんいち]
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日民俗学者・文化功労者の谷川健一さんが死去 読売新聞 2013年8月25日閲覧〕)は、日本の民俗学者、地名学者、作家歌人日本地名研究所所長。
在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげ、文化功労者に選出されるなど高く評価された。
==来歴・人物==
熊本県水俣生まれ。熊本中学浪速高等学校 (旧制)東京帝国大学文学部卒業(専攻フランス文学)。平凡社の編集者として、『風土記日本』(1957 - 60年)、『日本残酷物語』(1959 - 61年)などを企画編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務めた。
その後は執筆活動に重点を置き、1966年、『最後の攘夷党』で第55回直木賞候補になる。1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表し、民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男折口信夫らの学問を批判的に展開した。柳田が提唱した「日本民俗学」がのち組織化が進み善かれ悪しかれ学術化、専門科学化していったのに対し、谷川は、その職業的な背景もあり、在野精神を貫き学会と距離をとった独自の執筆活動を進めた〔著書『独学のすすめ』参照。ちなみに梅田望夫は自身のブログで、この本に勇気づけられたと回想した。〕。折口を彷彿とさせる小説家的想像力と、柳田の影響を受けた民俗資料の編纂とがない交ぜになっており、その業績は各界から注目された。従来にない新たな日本像を加えるべく『海と列島文化』(全10巻別巻、小学館、1990-93年)を、日本史の網野善彦文化人類学大林太良、民俗学の宮田登考古学森浩一と共同編集〔〈海と列島文化〉完結記念に伴い、シンポジウム(討論記録)『日本像を問い直す』(小学館、1993年)を出版。〕している。
1973年、共編『日本庶民生活史料集成 全20巻』で毎日出版文化賞を受賞。1981年神奈川県川崎市に<日本地名研究所>を設立、所長に就任し、町村合併などに伴う安易な地名変更に警鐘を鳴らすなどした。1986年、共編『日本民俗文化大系 全14巻』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。1987年から1996年まで、近畿大学教授・同大学民俗学研究所長を務める。1991年、『南島文学発生論』で芸術選奨文部大臣賞受賞、1992年、南方熊楠賞受賞、2001年、『海霊・水の女』で短歌研究賞受賞。
2007年秋に文化功労者。2008年、日本地名研究所は神奈川文化賞を受賞。2009年歌会始召人として臨み、『陽に染まる飛魚の羽きらきらし海中(わたなか)に春の潮(うしほ)生れて』が朗詠された。
『日本の地名』(正続)、『常世論』、『青銅の神の足跡』、『魔の系譜』、『神・人間・動物』などのほか、『最後の攘夷党』、『海の群星』等の小説作品も執筆した。『海の群星』は1988年に、NHK緒形拳石田ゆり子織本順吉など出演でドラマ化された。
1980年代三一書房で『著作集』(全10巻)が、2007年から2013年(没する直前に完結)に『全集』(冨山房インターナショナル、全24巻)が刊行された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷川健一」の詳細全文を読む




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