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讃岐永直 : ウィキペディア日本語版
讃岐永直[さぬき の ながなお]

讃岐 永直(さぬき の ながなお)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族明法家は公のち朝臣讃岐権介讃岐浄直の子。官位従五位下大判事

== 経歴 ==
讃岐氏(讃岐公)は景行天皇の子神櫛王の後裔〔『続日本後紀』承和3年3月19日条〕で讃岐国造家の嫡流子孫〔太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)〕。平安時代初期までは讃岐国寒川郡郡司を務めていたが、平城朝以降に永直の祖父広直・父浄直と続いて明法博士に任ぜられた。
祖父や父に続いて永直も明法家の道を歩み、幼い頃から大学寮で学び律令を好んで読んだ。非常に聡明で、一度聞いたことは暗誦してしまったという〔『日本三代実録』貞観4年8月17日条〕。
弘仁6年(815年明法得業生但馬権博士、のち奉試に及第し、天長7年(830年)に明法博士に任ぜられる。左・右少史勘解由判官を経て、承和元年(834年従五位下大判事に叙任。承和3年(836年)に弟の永成・従兄弟の当世らと共に朝臣を賜与される。のち、勘解由次官・出雲權介阿波権掾を歴任し、承和13年(846年)に発生した善愷訴訟事件の裁断にあたっては、明法道の権威として中心的な役割を果たした。
だが、嘉祥元年(848年)に親族である和気斉之の犯罪(大不敬)に連座して佐渡国(一説に土佐国〔『続日本後紀』嘉祥元年12月30日条〕)に配流となった。2年後の嘉祥3年(850年)に帰京を許されて、仁寿3年(853年)本位(外従五位下)に復し、再び明法博士・大判事を歴任、貞観元年(859年)には77歳で内位の従五位下に叙せられた。
貞観4年(862年)8月卒去享年80。極官(最終官位)従五位下守大判事兼行明法博士。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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