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蜂窩状墳墓 : ミニ英和和英辞書
蜂窩状墳墓[ほうかじょうふんぼ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はち]
 【名詞】 1. bee 
: [じょう]
  1. (n,n-suf) shape 
墳墓 : [ふんぼ]
 【名詞】 1. grave 2. tomb 
: [はか]
 【名詞】 1. gravesite 2. tomb 

蜂窩状墳墓 : ウィキペディア日本語版
蜂窩状墳墓[ほうかじょうふんぼ]

蜂窩状墳墓(ほうかじょうふんぼ、)は、石(まれに泥レンガ)を環状に徐々に小さくなるように積み上げた擬似アーチ形状を特徴とする墳墓構造である。蜂の巣(ビーハイブ)のような外形になることから、蜂窩状と名付けられている。ギリシア語では または と呼び(「ドーム状墳墓」の意)、そのため円形墳墓(トロス、 )とも呼ぶ。
蜂窩状墳墓は、地中海周辺や西南アジアのいくつかの文化に見られるが、墳墓としてではなく住宅(キプロス)や礼拝所(シリア)や要塞(スペイン、サルデーニャ)として使っていた例もある。考古学者マックス・マロワンは、新石器時代ハラフ文化イラクシリアトルコに分布)に属する構造にも tholos の名称を使っているが、両者には直接の関係はない。
== ギリシャ ==
ギリシャでは、蜂窩状墳墓が青銅器時代後期に記念建築物として発展した。その起源は不明だが、擬似ドーム状でない単なる円形墳墓(トロス)はクレタ島のミノア文明初期に見られ〔 M. S. F. Hood, "Tholos Tombs of the Aegean," Antiquity 34(1960) 166-176. 〕、青銅器時代中期には自然の地形を利用した墳丘墓が各地に見られることから〔 K.A. and Diana Wardle, Cities of Legend, The Mycenaean World, London 2000, 27-28.〕、これらから発展したものではないかと言われている。概念的には、同時代のミケーネの遺跡で多数見つかっている石室墓と近い。どちらも墓室、入り口(ストミオン)、入り口に向かう通路(ドローモス)で構成されるが、蜂窩状墳墓の方が大きい。
初期の蜂窩状墳墓は、ギリシャのペロポネソス南西部のメッセニアや〔 G. S. Korres, "Tymboi, tholoi, kai taphikoi kykloi tes Messenias," in Proceedings of the First International Conference of Peloponnesian Studies 2 (Athens 1976) 337-369.〕、同じくペロポネソス北東のトロイゼーン近郊で見つかっている〔 E. Konsolaki-Yiannopoulou, “E Magoula ston Galata tes Troizenias: Ena neo ME-YE kentro ston Saroniko,” in E. Konsolaki-Yiannopoulou (ed.), Argosaronikos: Praktika 1ou Diethnous Synedriou Istorias kai Archaiologias tou Argosaronikou A (Athens 2003) 159-228.〕。それらの蜂窩状墳墓は平坦な土地に建てられた後に土をかぶせてあった。マラソンにある2つの古墳は蜂窩状ではないが、中央の四角い部屋を入り口の通路へと拡張した方法を示している〔 S. Marinatos, "Further News from Marathon," Archaeologika Analekta Athenon 3 (1970): 155-63.〕。
紀元前1500年以降、蜂窩状墳墓が数多く造られるようになり、ミケーネ文明の中心地域全体に見られるようになる。しかし初期の例とは対照的に、山腹の斜面を掘って通路が下っていくように造ってあることが多く、擬似ドームの上部3分の1ほどが地上に出ているような形となっている。その上に土を被せているので、地上の塚は相対的に小さくなっている。
埋葬されているのは複数人であることが多く、床に直接置いたり、石棺に入れたり、穴に入れたり、石造りのベンチに置いたりと様々である。また、様々な副葬品が見つかっている。埋葬後、墓の入り口は土を被せて隠した。
墓室は初期のものから石造りで、ストミオン(入り口)も同様である。初期のものではドローモス(入り口前の通路)は岩盤を削っただけだが、アトレウスの宝庫など後期のものではドローモスも含めて精巧な切石積みで造られている〔 A.J.B. Wace, “Excavations at Mycenae: IX. The Tholos Tombs”, Annual of the British School at Athens 25, 1923, 283-402.〕。
墓室は持ち送り構造のヴォールトで、石を少しずつ内側に寄せて積み上げて、上に行くほど狭くしている〔W. G. Cavanagh and R. R. Laxton, "The Structural Mechanics of the Mycenaean Tholos Tomb," Annual of the British School at Athens 76(1981)109-140.〕。
入り口は富を誇示する場所となっていた。アトレウスの宝庫の場合、100kmも離れた採石場でとれた赤や緑の石を使って装飾を施していた。
蜂窩状墳墓は数多くあり、またある期間をかけて複数人が埋葬されていることから、必ずしも支配者だけがこのような墳墓を作ったわけではないと見られている。もちろん、大きなもの(直径および高さが10mから15mのもの)は支配者階級でなければ作れなかったと考えられる。大きな墳墓はギリシャ本土の青銅器時代後期のものが多く、古くから略奪されてきたにも関わらず、副葬品も多く見つかっている。スパルタの南にあるVapheioのトロスも略奪されていたが、2つの石棺内部は略奪を免れていた。そこで見つかった中でも“Vapheio cups”と呼ばれる黄金製のカップは、ミケーネの遺物の中でも特によく知られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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