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藤沢周平 : ミニ英和和英辞書
藤沢周平[ふじさわ しゅうへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

藤沢周平 : ウィキペディア日本語版
藤沢周平[ふじさわ しゅうへい]

藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年昭和2年)12月26日 - 1997年平成9年)1月26日)は、日本小説家山形県鶴岡市出身。本名、小菅 留治(こすげ とめじ)。血液型はB型〔阿部達二『藤沢周平残日録』p.87〕。
江戸時代〔特に町人文化が熟した文化文政期を主に描いた。〕を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した〔藤沢周平にとって小説はどう書いてもいいのではなく、人生の哀切を確かに読者に伝える事のできる小説をと願った。それを時代小説という形式で現した。その時代小説は、剣客や藩士の登場する武家ものと、町人や渡世人を主人公とする市井ものとの二系列に書き分けらている。(藤沢周平著 『藤沢周平全集 別巻』 文藝春秋 2002年 17ページ)〕。とくに、架空の海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。
長女遠藤展子は、エッセイスト2010年4月29日、出身地の鶴岡市に「鶴岡市立藤沢周平記念館」が開館した。
== 来歴・人物 ==

=== 生い立ち ===
山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下(現在の鶴岡市高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。郷里庄内と並んで農は、作家藤沢周平を考えるうえで欠くことのできない要素である。
1934年(昭和9年)、青龍寺尋常高等小学校入学(在学中に黄金村国民学校に改称。現在の鶴岡市立黄金小学校)。小学校時代からあらゆる小説、雑誌の類を濫読し、登下校の最中にも書物を手放さなかった。また、6年生の頃には時代物の小説を書いた〔『歴史読本』編集部編『藤沢周平を読む』 新人物往来社、2010年 298ページ〕。1938年(昭和13年)、11歳の時ひどい吃音に悩まされる〔笹沢信著 『藤沢周平伝』 白水社 2013年 423ページ〕。1942年(昭和17年)、15歳の時、黄金村国民学校高等科を卒業し、山形県立鶴岡中学校(現在の鶴岡南高校)夜間部入学。昼間は印刷会社や村役場書記補として働いた。
1945年(昭和20年)、18歳、「8月15日の終戦のラジオ放送を、わたしは役場の控え室で聞いた。……喜びもかなしみもなく、私はだだっぴろい空虚感に包まれていた。しばらくして、これからどうなるのだろうと思ったが、それに答えるひとは誰もいないこともわかっていた。」(第七巻月報)〔藤沢周平著 『藤沢周平全集 第23巻』 文藝春秋 1994年 578ページ〕
1946年中学校を卒業後、山形師範学校〔当時の師範学校は入学金も授業料も要らなかった。予科から入っていれば、給費二千円近くもらえた。しかし、小菅は本科から入った。下宿代は出さねばならなかったから、親にはかなりな負担を賭けている。奨学金を貰った。〕(現在の山形大学)に進む〔留治にとって兄久治が復員してきたことも進学を決心させた〕。一級上に無着成恭〔藤沢周平著 『藤沢周平全集 第23巻』 文藝春秋 1994年 577-578ページ〕がいた。入学後はもっぱら文芸に親しみ、校内の同人雑誌『砕氷船』に参加した(このときの同人は蒲生芳郎、小松康裕、土田茂範、那須五郎、丹波秀和、松阪俊雄、小菅留治の7人、最初は自筆原稿の回覧、ポーの評伝を発表)。この時期の思いでは自伝『半生の記』に詳しく記されており、また小説作品にしばしば登場する剣術道場同門の友情などにも形を変えて描かれている。小菅は、二年生の夏と三年生の冬の二回肺炎になりかけた。二回目の時には意識不明の状態に陥っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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