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藤原定隆 : ミニ英和和英辞書
藤原定隆[ふじわら の さだたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation

藤原定隆 : ウィキペディア日本語版
藤原定隆[ふじわら の さだたか]

藤原 定隆(ふじわら の さだたか)は平安時代後期の公卿権中納言藤原清隆の子。官位従三位左京大夫
== 経歴 ==
保延7年(1141年従五位下備中守に叙任される。久安4年(1148年)に従五位上に進み、久安6年(1150年但馬守に任ぜられる。
仁平2年(1152年加賀守に任ぜられる。仁平3年(1153年正五位下に叙され、久寿元年12月(1155年2月)に右兵衛権佐を務め、春宮権大進を兼ねる。母が乳母を務めた近衛天皇の近臣の1人で、天皇崩御の際に天皇の居所である近衛殿から天皇の父母(鳥羽法皇美福門院)のいる鳥羽殿に駆け込み、崩御の一報を伝えている〔『兵範記』久寿2年7月23日条〕。保元2年(1157年従四位下皇太后宮亮に叙任されると、丹波守三河守越中守伊予守・備中守と各国の受領を歴任。応保2年(1162年右馬頭永万2年(1166年左京大夫をそれぞれ兼任する。仁安2年(1167年)、後白河上皇院別当を務め、法勝寺の千僧読経においてを賜っている〔『玉葉仁安2年3月24日条〕。その一方で、後白河上皇の院近臣でありながら、二条天皇期には天皇親政派であった〔定隆は守仁親王(二条天皇)の立太子から保元2年の従四位下叙位まで東宮権大進を務めた他、二条天皇親政派の中心であった藤原経宗の妻は定隆の姉妹であった。〕ことが知られ、二条天皇による伊勢神宮遥拝の再興に定隆が深く関与していた〔『山槐記』応保元年12月25日条〕〔中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年、156 - 162頁。ISBN 4-305-70296-7。〕。
仁安3年(1168年従三位・皇太后宮亮に叙任され公卿に列す。仁安4年(1169年周防権守を兼ねるが、嘉応2年(1170年)10月2日に俄かに薨去した。享年37。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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