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葉群 : ミニ英和和英辞書
葉群[よう ぐん]
foliage
===========================
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 
葉群 : ウィキペディア日本語版
葉群[よう ぐん]

葉群(よう ぐん、イェ・チュン、1917年 - 1971年9月13日)は中華人民共和国の政治家である。林彪の妻、林立果林立衡の母。文化大革命を主導した。林彪事件で、夫、息子等とともにモンゴル人民共和国で墜落死した。原名は葉静宜
== 概要 ==
国民党系将軍とその愛妾の間に生まれる。1935年北京師範大学附属中学卒業。葉群は青年期に北京で教師を務め一二・九運動に参加した後、中国共産党革命根拠地である延安に赴き中国共産党に入党した。延安では中国女子大学職員を務め、延安八大美女の一人とされた。抗日戦争後半に林彪と結婚し二子を得た(林立果、林立衡)。葉群はずっと林彪のことを“一〇一”〔産経新聞社 下巻p.43にもこの標記が出てくる〕と呼んだ。それは戦争の年代を別名としたものであった。
文化大革命が発動されると、葉群は、全軍文革小組のメンバー及び副組長、林彪弁公室主任、中央軍弁事組のメンバーとなった。劉少奇鄧小平陶鋳等が失脚した後の1969年第9期1中全会で政治局員に選出された〔この会議で林彪が毛沢東の後継者になることが決められた(産経新聞社下巻pp.77-82)〕。葉群は交際能力や事務処理に優れ、林彪弁公室主任として病気がちで内向的な林彪に替わって、複雑な党務関係を処理していた。林彪が高い地位に就くことができたのは、かなりの程度に葉群の内助の功とされる。
しかし、翌1970年第9期2中全会毛沢東と林彪の間に亀裂が生じると、葉群は林彪が後継者になるべく政治活動を展開し、息子の林立果と共に毛沢東暗殺計画を企てたとされる。1971年9月12日、毛沢東暗殺計画が露見すると、夫、息子等とともに同日深夜河北省北戴河山海関空港からトライデント256号機で逃亡したが、13日午前2時過ぎモンゴル人民共和国ヘンテイ県イデルメグ村(モンゴル国ヘンテイ県ベルフ市の南方10キロ付近)で墜落死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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