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萩原克己 : ミニ英和和英辞書
萩原克己[はぎわら かつき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はぎ]
 【名詞】 1. bush clover 2. Lespedeza 
萩原 : [はぎわら]
 (n) reedy field
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
克己 : [こっき]
  1. (n,vs) self denial 2. self control 
: [き, つちのと]
 【名詞】 1. 6th in rank 2. sixth sign of the Chinese calendar

萩原克己 : ウィキペディア日本語版
萩原克己[はぎわら かつき]

萩原 克己(はぎわら かつき、1949年 - 2013年10月30日)は、2004年11月に設立された新生「エレックレコード株式会社」代表取締役社長、音楽評論家神奈川県横浜市出身。
==来歴==
1968年、19歳でヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト全国大会にバンド「マックス」のドラマーとして出場しグループサウンド部門優勝〔同部門に吉田拓郎のバンド「ザ・ダウタウンズ」も出場したが、4位。(『いつも見ていた広島』 - 田家秀樹、小学館)〕〔全日本ライト・ミュージック・コンテスト 〕。「マックス」は1970年よしだたくろうの『青春の詩』のレコーディングでバックバンドを担当した〔「青春の詩」ライナーノーツ〕他に、泉谷しげる大橋純子古井戸らのスタジオミュージシャンやバックバンドとして活躍し、エレックレコードのアーティストのリズムセクションを支えた。
1972年、旧エレックレコードに入社し、制作ディレクター、制作宣伝部長を歴任。山崎ハコナイアガラ・レーベル(大瀧詠一)、シュガー・ベイブ(山下達郎大貫妙子他)らを担当。エレックレコード倒産後の1977年ポリドール・レコードと契約。水越けいこ香坂みゆき欧陽菲菲秋吉久美子カシオペアJIMSAKU外道らをプロデュースした。
1996年ミュー音楽出版社を設立〔エレックレコード社長・萩原克己さんに聞く「思い出のアーティストたち」 <前編>シニアコム.JP内〕。晩年は月刊スカイパーフェクTV!(ぴあ刊)にて自伝エッセイ「翼の生えた犬」連載していた。
2013年10月30日、死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「萩原克己」の詳細全文を読む




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