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茅原実里 : ミニ英和和英辞書
茅原実里[ちはら みのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かや]
 【名詞】 1. hay 2. various gramineous grasses (e.g., eularies) 3. plants used for thatching
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

茅原実里 : ウィキペディア日本語版
茅原実里[ちはら みのり]

茅原 実里(ちはら みのり)は、日本女性声優歌手ナレーター。M-Peace所属(業務提携:リンクアーツ)、所属レコード会社はランティス〔2009年春から2012年3月ごろまでの一時期は同社の「GloryHeaven」レーベルに所属していたものの、理由は定かではないが所属レーベル間の調整に伴い、再びメインレーベルに異動した。〕。公式ファンクラブは「M-Smile」。
栃木県宇都宮市出身の埼玉県育ち。身長157cm。血液型B型。愛称は「みのりん」など。代表曲は「Paradise Lost」、「TERMINATED」、「優しい忘却」など 。
== 略歴 ==
中学時代は漫画家を志しており、当時はお小遣いを貯めて画材を購入しては漫画を描き続けていた。進路を相談する三者面談では「漫画家になるから高校へは行かない」と言い張り、担任と母親を困惑させたという。それほど熱い思いを抱いていた漫画家への夢だが、中学3年の冬に恋愛ものの読み切り短編を描きあげ漫画誌に投稿し落選したことがショックで、それ以来志すことをやめた。デビューをしてから漫画は描いていないようだが、デビュー当初はブログにイラストを掲載するなど絵の腕前を時折披露していた〔オフィシャルブログ「minorhythm(ミノリズム)」2005年1月分 (2015年11月24日閲覧)など〕。
歌手を志すきっかけとなったのは高校時代の学園祭。仲の良い先生に頼まれ学園祭のカラオケ大会に急遽参加することが決まった茅原は嫌々ながら出場したが優勝を果たした。すると歌い終わった後に他のクラスの話したこともない女子に「あなたの歌声に感動した」と笑顔で言われたという〔Message 01収録の「Grateful Days」より。〕。
高校卒業後は歌手デビューに向けてオーディションを受け続けていたがなかなかチャンスをつかめず、期間を決めて養成所に入所。しかしオーディションの最終選考までは進んだもののデビューには至らず、養成所の卒業が迫っている中、ちょうど同養成所内に「声優タレントコース」が開講することに。スタッフに「茅原の声質もキャラクターも独特だから、声優としてお芝居を勉強するともっと幅が広がると思う。今の声優はいろんな仕事をしているからあなたのやりたい歌の仕事にも繋がるかもしれない。」と誘われ、悩んだ末に「声優タレントコース」への転科を決意し、声優としての勉強を開始した。そして、「このオーディションでデビューが決まらなかったら人生を考え直す」と覚悟を決めて挑んだ作品のオーディションで合格。2004年春、念願のタレントデビューが実現した。デビュー当初から現在まで茅原をマネジメントしているマネージャーの瀬野大介はもともとこの養成所で「声優タレントコース」のスタッフをしており、茅原の声優デビューとともにマネジメント担当となった〔「LOVE LETTER」p.84,p.85。〕。
デビュー前に國府田マリ子のラジオ番組にアシスタントとして出演していた際に関わりのあった音楽プロデューサーに、「デビューを記念してアルバムを1枚作らないか」と提案され、2004年12月にキングレコードよりアルバム「HEROINE」をリリースし、長年の夢である歌手デビューも果たすことになる。しかし、継続的なリリースではなく単発のリリースだったことや、当時イベントやコンサートを数多く打てない事情があったことから、歌手活動は2007年ランティスにて歌手活動を再開するまで、事実上休止となる。人気が急上昇するまでの間は、仕事の確保にも苦労し、ファンからの新曲を熱望する声に応えるためにギターを習い秋葉原で路上ライブを行ったり、マネージャーも必死に営業を行うなど、まさに「背水の陣」の数年間だったという。結果、涼宮ハルヒの憂鬱への出演が決まったことがきっかけとなり、人気が急上昇。同作の音楽プロデューサーであったランティス斎藤滋とも出会い、紆余曲折を経てランティスでの歌手活動再開に至った。〔TOKYO MX 「茅原実里10周年記念特番 〜彼女が見つけたサンクチュアリィ〜」(ライブBD/DVD「SANCTUARY」収録)より〕
ランティスでの歌手活動を再開してからは、声優として活躍する一方で、音楽制作とリリース、ライブ活動が継続的なものとなり、声優アーティストとしての確固たる地位を獲得。日本武道館さいたまスーパーアリーナなどでの大会場でのライブや全国規模のライブツアーを行っている。2010年度声優アワードでは「優しい忘却」で歌唱賞を受賞した。歌手活動再開当初は基本的にタイアップのつかない、アーティスト茅原実里オリジナルの世界観での楽曲をリリースすることが多かったが、Animelo Summer Liveにて自身初のアニメ主題歌「Paradise Lost」を歌って以降は、出演するアニメ作品の主題歌を歌う機会も増えている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「茅原実里」の詳細全文を読む




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