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若ノ海正照 : ミニ英和和英辞書
若ノ海正照[わかのうみ まさてる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

若ノ海正照 : ウィキペディア日本語版
若ノ海正照[わかのうみ まさてる]

若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。現役時代の体格は176cm、126kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。
== 来歴 ==
内川目中学校を卒業後、元前頭3枚目・大ノ海が率いる花籠部屋に入門し、1961年昭和36年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の関脇藤ノ川小結羽黒岩らがいる。出世は遅く、初土俵から約10年、57場所かかって1971年(昭和46年)1月場所で十両昇進。そして、1972年(昭和47年)7月場所での新入幕は初土俵から11年2ヶ月、67場所を要した。
左四つから右上手を引いての寄り、前廻しを取って食い下がるという、地味な相撲を得意とした。その相撲ぶりのせいか、二桁勝利や三賞金星とは縁がなかった。東前頭3枚目まで番付を上げた1974年(昭和49年)3月場所では、7勝8敗と負け越したが8日目に大関貴ノ花上手出し投げで破る殊勲の星を挙げている。
その後、1975年(昭和50年)3月場所で十両に陥落したが、翌年11月場所で再入幕。以降は幕内中位にあったが、1977年(昭和52年)の夏巡業で左足首を脱臼して9月場所を全休したため、再度十両に落ちた。翌場所は東十両7枚目の地位にあって5勝10敗と大きく負け越し、1978年(昭和53年)1月場所では幕下にまで陥落してしまった。そして、この場所の番付発表後に引退し、年寄大嶽大鵬親方から借り受けて襲名した。
引退後は大鵬部屋に移籍し、同部屋付きの親方として後進の指導に当たった。その後、巨砲の引退、大嶽襲名に伴い1992年平成4年)5月に廃業。
廃業後は、東京都江東区で相撲料理店「ちゃんこ若ノ海」を経営するとともに、1992年10月5日から1993年(平成5年)4月3日まで放送されたNHK朝の連続テレビ小説ひらり』に大相撲コーチ役として準レギュラーで出演した。
1995年(平成7年)3月31日、心不全のため東京都渋谷区内の病院で死去。享年49。
なお、長男・一隆は伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士の勝盛(かちもり)、次男・佳久は大鵬部屋所属の元大相撲力士・若松鵬(わかしょうほう)である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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