翻訳と辞書
Words near each other
・ 義甥
・ 義田貴士
・ 義男の青春
・ 義県
・ 義真
・ 義眼
・ 義祖母
・ 義祖父
・ 義祭同盟
・ 義禁府
義空
・ 義竹
・ 義竹郷
・ 義符
・ 義範 (曖昧さ回避)
・ 義経
・ 義経 (NHK大河ドラマ)
・ 義経 (小惑星)
・ 義経 (小説)
・ 義経=ジンギスカン説


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

義空 : ミニ英和和英辞書
義空[ぎくう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 

義空 : ウィキペディア日本語版
義空[ぎくう]
義空(ぎくう、生没年不詳)は、平安時代前期から渡来した禅僧
== 経歴 ==
中国杭州塩官県にあった海昌院の斉安国師に師事。承和年間、皇太后橘嘉智子恵萼(えがく)を使者として唐に送って唐の禅僧を招聘しようとした。恵萼は弟子とともに五台山を訪れた〔円仁入唐求法巡礼行記』会昌元年9月7日条〕後に斉安を招聘しようとするが、彼は義空を推挙した。恵萼は承和9年(842年)にいったん帰国するが、この時は義空は同行しなかった〔なお、恵萼が一旦日本に帰国した直後に、斉安が没している。〕。その後、恵萼は再度唐を訪れて義空を説得し、承和14年(847年)の恵萼の帰国に同道する形で来日した〔『元亨釈書』に義空の来日を斉衡初年と記すが、斉衡に改元される5年前の(唐)大中3年(849年/日本の嘉祥2年)に義空と親しかった唐の徐公直徐公祐兄弟らから日本の義空に充てた書状が残されており(『高野雑筆集』下巻所収「唐人書簡」)、この事実と矛盾する。斉衡初年は義空が唐に戻った年であった可能性が高い(田中、2012年、P157)。〕。恵萼が日本に戻っている間に、江南においても会昌の廃仏の影響が及び、義空に日本に行くことを促す背景になったとも考えられている。
来日した義空は東寺西院に住したが、その後嘉智子が創建した檀林寺に移ってその開基となった。仏道を問う者は多かったというが、禅宗自体は当時の人々からは理解されずに不振、また当時の日本仏教界の戒律の乱れも彼を失望させた〔卍元師蛮『本朝高僧伝』巻19義空伝賛・円珍『仏説観普賢菩薩行法経記』巻下・修六念法など〕。更に会昌の廃仏が終息して唐の仏教界が再興に向かい始めたこともあり、彼は斉衡年間(854年-857年)には滞日数年で唐に戻った。後に恵萼が再び唐に渡った際、その事績を日本国首伝禅宗記として碑に刻み、日本に送り京の羅城門脇に建てたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「義空」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.