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紅壺 : ミニ英和和英辞書
紅壺[べにつぼ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [べに, くれない]
 【名詞】 1. deep red 2. crimson 

紅壺 : ウィキペディア日本語版
紅壺[べにつぼ]

紅壺』(べにつぼ、〔''BENITSUBO'', Complete Index to World Film 、2015年6月5日閲覧。〕)は、1965年(昭和40年)製作・公開、渡辺護監督による日本の長篇劇映画である〔〔年鑑, p.326.〕〔キネ旬, p.107.〕〔渡辺護、監督第二作『紅壺』について語る 渡辺護井川耕一郎、2012年12月28日付、2015年6月5日閲覧。〕〔『紅壺』について 、井川耕一郎、渡辺護公式サイト、2015年6月5日閲覧。〕〔''紅壺 べにつぼ''東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月5日閲覧。〕〔''紅壷''文化庁、2015年6月5日閲覧。〕〔''紅壷''KINENOTE, 2015年6月5日閲覧。〕〔''紅壺''日本映画データベース、2015年6月5日閲覧。〕〔''紅壺''扇映画プロダクションセンチュリー映画社、1965年6月。〕〔''紅壺''、扇映画プロダクション・日本セントラル映画、1965年6月。〕。渡辺護の第2回監督作品〔〔、2015年6月5日閲覧。〕。新漢字表記『紅壷』〔〔、上映用プリントから書き起こした題は『紅壺 べにつぼ』である〔。
== 概要 ==

=== 製作時の経緯 ===
1965年(昭和40年)4月、新しい映画製作会社扇映画プロダクションを設立した俳優出身の映画製作者斎藤邦唯(1929年 - )〔キネ旬, p.137.〕〔田中, p.85-86.〕は、新人の渡辺護(1931年 - 2013年)を監督に抜擢、設立第1作『あばずれ』(配給新東宝興業)を同年6月に公開した〔、2015年6月5日閲覧。〕〔1965年 公開作品一覧 509作品 日本映画データベース、2015年6月5日閲覧。〕。斎藤は次に、同作のスタッフ編成に協力し「沖弘次」名義で「監修」とクレジットされた関喜誉仁(1923年 - 没年不詳)〔渡辺護、監督デビュー作『あばずれ』(65)を語る 渡辺護公式サイト、2015年6月5日閲覧。〕に監督を依頼、同年8月10日公開の『嬲る』(配給新東宝興業)、同年9月21日公開の『妾の子』(配給ムービー配給社)を製作した〔〔、2015年6月5日閲覧。〕〔、2015年6月5日閲覧。〕。同社が次に製作した劇場用映画が、渡辺護の監督第2作『紅壺』である〔〔〔。
同作の脚本は、前作に引き続き吉田義昭(1932年 - 1989年)が執筆した〔〔〔。物語は『』(監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、1949年)を下敷きにしたものであった〔。『情婦マノン』の原作は、アベ・プレヴォー長篇小説マノン・レスコー』(1731年)であり〔、2015年6月5日閲覧。〕、渡辺は本作をもって、18世紀フランスのファム・ファタール的な物語を1960年代の日本に置き換えたといえる。スタッフ編成に関しては、撮影技師門口友也照明技師に前作に引き続き村瀬栄一、音楽スコアは同じく小谷松実録音技師も同じく杉崎喬(1935年 - )、編集技師も同じく宮田二三夫が参加した〔〔。クレジット上は前作に引き続き吉田義昭は「吉田貴彰」、門口友也は「大森一郎」、村瀬栄一は「村井徹二」といった変名を使用している〔〔。門口友也は1957年(昭和32年)8月11日に公開された『森繁の僕は美容師』(監督瑞穗春海、製作宝塚映画製作所)で撮影技師飯村正のセカンド助手としてクレジットされた人物であり〔門口友也 東宝、2015年6月5日閲覧。〕、その後、技師に昇進し1963年(昭和38年)9月3日に公開された『甘い罠』(監督若松孝二、製作東京企画)をはじめとして独立系成人映画を手がけた〔、2015年6月5日閲覧。〕。杉崎喬は、当時は東京録音現像に所属したスタジオエンジニアである〔佐藤, p.323.〕。撮影助手にクレジットされている「鈴木四郎」は〔、のちに渡辺護の常連撮影技師となる鈴木史郎鈴木史郎 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月5日閲覧。〕(鈴木志郎とも〔鈴木志郎 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月5日閲覧。〕)である。
キャスティングに関しては、脚本完成後、主演は今回も前作同様に飛鳥公子か、と検討していたとき、扇映画プロダクションの事務所に、曾我廼家五一郎(1879年 - 没年不明、本名谷光逸雄)の息子に当たる人物が連れてきた女優がいた〔。それが真山ひとみであり、渡辺護の回想によれば、『あばずれ』の主演に当初考えていた『日本拷問刑罰史』(監督小森白)の森美沙よりも「よかった」「スターになれる子だった」という〔〔。主人公の相手役には前作に引き続き黒木純一郎、主人公が所属するモデルクラブ社長役に前作で主人公(飛鳥公子)の父親を演じた千田啓介、 バー経営者役に岩城力也、業界紙の編集長役に上野山功一が出演している〔。ただし上映用プリントから書き起こした記述が掲載されている、東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品の同作の項には、「上野山功一」名義のクレジットはない〔。
同作は、同年10月12日、関東を中心にセンチュリー映画社〔(本社・東京、1964年10月設立〔)、関西を中心に日本セントラル映画〔(本社・大阪、1964年4月設立〔)がそれぞれ配給して、公開された〔〔〔〔。それぞれの配給会社によるヴァージョン違いのポスターが現存する〔〔。主演の真山ひとみの出演作は、同作の前に、日活が製作・配給した藤江リカの主演作『処女喪失』(監督、同年6月20日公開、映倫番号 13979)に助演しただけであり、『処女喪失』『紅壷』の2作以外の出演歴が見当たらない〔、2015年6月5日閲覧。〕〔、2015年6月5日閲覧。〕〔、2015年6月5日閲覧。〕〔真山ひとみ 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月5日閲覧。〕。したがって神戸映画資料館での『紅壺』上映の際の説明に「後に日活に移り活躍した」という記述があるが〔上映プログラム 神戸映画資料館、2013年2月付、2015年6月5日閲覧。〕、この記述を裏付ける出演作品が存在しない〔〔〔〔。
渡辺護は、同作に引き続き、監督第3作『情夫と牝』(脚本奈加圭市、配給ムービー配給社)を同社で監督、同年10月に映倫審査を受け、同年11月2日に公開、監督第4作『浅草の踊子 濡れた肌』(脚本栄町はじめ、配給センチュリー映画社)を同社で監督、同年11月に映倫審査を受け、翌1966年1月に公開されている〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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