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紀州漆器 : ミニ英和和英辞書
紀州漆器[きしゅうしっき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank
: [うるし]
 【名詞】 1. lacquer 2. varnish 
漆器 : [しっき]
 【名詞】 1. lacquer ware 
: [うつわ]
 【名詞】 1. (1) bowl 2. vessel 3. container 4. (2) ability 5. capacity 6. calibre 7. caliber 

紀州漆器 : ウィキペディア日本語版
紀州漆器[きしゅうしっき]

紀州漆器(きしゅうしっき)は、和歌山県に伝わる伝統工芸品の一つである。会津漆器輪島塗山中漆器などとともに全国三大産地の一つと言われる。主な産地は海南市黒江経済産業大臣指定伝統的工芸品
== 歴史 ==

===近代まで===
室町~戦国時代に近江系の木地師集団が定着し、紀州を木地に木の椀を製造したのが始まり。一部では根来寺の職人が豊臣秀吉による根来寺焼き討ち後に黒江湊に移住したという説もある。〔「黒江漆器」1913年 参照〕
黒江においては江戸時代初期の『毛吹草』、中期の『和漢三才図会』、後期の『紀伊続風土記』に記されていることから、江戸中期から後期には広く諸国に出荷されるようになっていたことが窺える。紀州藩は黒江椀製造地域を黒江に限定し漆器産業を保護した。そのため、黒江塗は当地の発展に大きな影響を与えたと考えられる。〔千森督子著 『近世から近世初頭における紀州黒江の空間と漆器業』2004年〕
明治維新の後、廃藩置県で紀州藩の保護を失ったが、明治3年(1870年)に元紀州藩士の木村友重(南友重)が漆職人を束ねて漆製品を生産し、南家の船で本格的な貿易を開始したことによって次第に活気を取り戻し、分業制を用いたり〔三山喜三郎 「八雲塗ノ改良方針」1912年 3項〕明治12年(1879年)には他府県産の沈金彫の技術を導入した。また、明治31年(1898年)には京都府より蒔絵師を招いて、蒔絵の改良を図った。黒江漆器学校も設立され〔「官報. 1899年10月27日」によると、当記事発行日に漆器徒弟学校を漆器学校へ改称とあり、「第十二回京摂区実業大会紀念写真帖」には明治31年9月の創立、「黒江漆器」には32年設立とある。「官報. 1929年07月15日」によると昭和4年に廃止された〕、漆器膳、椀、重箱を国内向けに 盆を国外向けに製作した。〔横浜市商工課 11貢〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「紀州漆器」の詳細全文を読む




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