翻訳と辞書
Words near each other
・ 紀元前383年
・ 紀元前384年
・ 紀元前385年
・ 紀元前386年
・ 紀元前387年
・ 紀元前388年
・ 紀元前389年
・ 紀元前38世紀
・ 紀元前38年
・ 紀元前3900年
紀元前390年
・ 紀元前390年代
・ 紀元前391年
・ 紀元前392年
・ 紀元前393年
・ 紀元前394年
・ 紀元前395年
・ 紀元前396年
・ 紀元前397年
・ 紀元前398年


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

紀元前390年 : ミニ英和和英辞書
紀元前390年[きげんぜん390ねん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

紀元 : [きげん]
 【名詞】 1. (1) era 2. (2) A.D. (Christian era) 
紀元前 : [きげんぜん]
  1. (n-adv,n-t) pre-era 2. BC 3. BCE 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

紀元前390年 : ウィキペディア日本語版
紀元前390年[きげんぜん390ねん]

紀元前390年は、ローマ暦の年である。当時は、「アンブストゥス、ロングス、アンブストゥス、フィデナス、アンブストゥス、コルネリウスが護民官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元364年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前390年と表記されるのが一般的となった。
== できごと ==

=== 共和政ローマ ===

* 7月18日アッリアの戦い紀元前387年とする説もある)
 * イタリアアドリア海沿岸にいたセノネス族 (Senones) の族長ブレンヌスが、ガリア・キサルピナの軍勢を率いてローマを攻撃した。ガリア勢は、防御され抜かれたカピトリヌス(現在のカンピドリオの丘)を除いて、ローマ全市を蹂躙した。ガリア勢が町を破壊していくのを目の当たりにしたローマ人たちは、身代金を支払うことにした。金額は黄金1000ポンド(327kg)で合意を得た。
 * ブレンヌスがローマ人たちと金の重量をめぐって口論していると、自らローマを去っていた前独裁官マルクス・フリウス・カミルスが、一軍を率いて現れ、ブレンヌスが金を持ち去ることを阻止した。まず、ローマ市内で市街戦が戦われ、ガリア勢は、市内から押し出された。次いで、市街地から離れて第二の戦いがあり、カミルスは侵略者を打ち負かした。こうしてローマを救ったことから、カミルスは「ローマ第二の創建者」と称されるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「紀元前390年」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.