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粉河寺縁起 : ミニ英和和英辞書
粉河寺縁起[こかわでら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こな]
 【名詞】 1. flour 2. meal 3. powder 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [よすが, えん]
 (n) a means of living, limbus, margin
縁起 : [えんぎ]
 【名詞】 1. omen 

粉河寺縁起 ( リダイレクト:粉河寺縁起絵巻 ) : ウィキペディア日本語版
粉河寺縁起絵巻[こかわでら えんぎ えまき]


粉河寺縁起絵巻(こかわでら えんぎ えまき)は、和歌山県にある粉河寺の縁起を描いた絵巻物である。紙本著色、1巻、縦30.8cm、横1984.2cm。恐らく天正年間、豊臣秀吉根来寺焼き討ちにより罹災し、巻首部分と、全巻にわたる上下に甚だしい焼損が見られる。
作者不詳で、成立は12世紀後半頃と推定されている。絵巻物の代表的作品の一つに数えられ、国宝に指定されている。現在の所有者は粉河寺であるが、京都国立博物館に寄託されている。
== 概要 ==
内容としては仮名交じり文の詞書四段と絵五段から成り、前半は粉河寺創建の経緯、後半は河内の長者一族が観音の霊験にあって出家する話となっている。初段の詞書は焼失したと考えられるが、漢文体の『粉河寺縁起』や『粉河寺大率都婆建立縁起』(醍醐寺本『諸寺縁起集』所収)、『阿娑縛抄』などから内容が推測されている。
前半の物語は紀伊国那賀郡の猟師大伴孔子古(くすこ)が観音の奇瑞により発心し、観音自らによって粉河寺の本尊が出現した由来である。『粉河寺縁起』によれば宝亀元年(770年)の創建といい、それより先、山中での狩猟中に光を放つ地を発見した孔子古はそこに庵を構え、精舎建立と仏像安置を発願する。すると一人の童子の行者が現われて宿を乞い、その礼に仏像の建立を申し出る。行者は庵に入り、七日の内に仏像を作るのでその間は見てはならない、完成したら戸を叩いて報せると告げ、庵に籠る(ここまでの内容は詞書を欠く)。七日目に庵に行って扉を開けてみると、庵内には等身の千手観音立像が安置され、行者の姿は見えなかった。猟師は近隣にこのことを語り、人々はみな参拝して観音に帰依した。
後半は河内国讃良郡の長者の一人娘の病が粉河寺の千手観音の霊験により癒え、一家が粉河寺へ参詣して出家する霊験譚である。なお、『粉河寺縁起』等では河内国渋河郡馬馳市の佐太夫のこととされており、他にも、前半の物語の詞書が残る部分も含めて、絵巻の詞書と他の文献には若干の内容の異同が見られる。
長者の一人娘が悪臭を放つ皮膚病に侵され、祈祷を尽しても回復の兆しなく三年が過ぎたところへ、童子が現われて七日間の祈祷を申し出る。千手陀羅尼による加持祈祷によって娘の病いは快癒し、喜んだ父母は蔵の財宝を寄付しようとするが童子は断わり、娘が幼少より肌身離さなかった提鞘(小刀)と紅の袴のみを形見として受けとる。在所を尋ねられた童子は、紀伊国那賀郡の粉河と答えて立ち去ったとみると、消えてしまう。次の春、長者一家は那賀郡に赴き粉河の地を尋ねるが知る人がいない。山のほうにあるだろうと行ってみると、粉を入れたような白い流れを発見し、喜んでたどると上流に庵を見出す。庵の扉を開けると輝く白檀の千手観音像が立っており、その施無畏印を結んだ手に、童子に喜捨した提鞘と袴がかかっていた。人々は童子が千手観音の化身であったと知り、皆出家した。猟師の一家は粉河寺の別当となって今に伝わるという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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