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粉川忠 : ミニ英和和英辞書
粉川忠[こがわ ただし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こな]
 【名詞】 1. flour 2. meal 3. powder 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 

粉川忠 : ウィキペディア日本語版
粉川忠[こがわ ただし]

粉川忠(こがわ ただし、1907年6月19日-1989年7月17日)は、日本実業家。文献収集家。ゲーテ研究家。ドイツの文豪・ゲーテの書籍や関連文献を生涯にわたって集めて、東京ゲーテ記念館を開館させた人物として知られている。
==生涯==
粉川忠は1907年に現在の茨城県水戸市開江で生まれた。父親は地元の村長で、粉川忠は、4人兄弟の長男として生まれた。〔星野(1986) 203p.〕。
1923年茨城師範学校へ入学。この師範学校時代にゲーテの『ファウスト』を先輩に薦められたのが、きっかけでゲーテを知る。〔星野(1986) 204p.〕。
1927年に師範学校を首席で卒業。しかし、その後は教職に就くことはなかった。その後、しばらく水戸と東京を往復する日々が続く。〔星野(1986) 207p.〕。
1928年に友人にゲーテについて聞かれてそれを調べていくうちに、ますますゲーテのとりこになり、いつかはゲーテの図書館を作ろうという決心をする。
しかし、郷里ではそのようなものに金は出せないと拒まれ、まず東京で事業を展開することを志した。最初は上野で荷物運びや運送など事業を行うようになり、その後味噌醸造機の機械を作る会社を設立した。〔星野(1986) 208p.〕。
1929年に軍隊に入隊、1930年に除隊。
その後は、機械のセールスを熱心にする傍ら、全国各地を巡りゲーテの書籍の収集に勤しむ日々が続いた。
1940年に東京・本郷古本屋で書籍を探していたところ、たまたま東京大学教授でゲーテ研究で有名な木村謹治に出会った。〔星野(1986) 208p.〕。
たちまち意気投合し、木村により粉川に対して無償でヨハン・ペーター・エッカーマンの「ゲーテとの対話」を一緒に読む機会が与えられた。このやり取りは、木村が死んだ1948年まで及んだ。
この成果は粉川のゲーテ研究を確固たるものにした。そしてゲーテ生誕200年を記念して1949年に財団を設立。1964年には東京・渋谷に当時の金額で1億2千万円かけて「東京ゲーテ記念館」(初代)を竣工させた。〔星野(1986) 210p.〕。
その後も醸造機械の販売をする会社の経営を続けては、ゲーテ関連の本を買うという事を繰り返し、集めたゲーテ関連書籍類は15万点以上にも及ぶという。
手狭になったので1988年には東京・西ヶ原に現在の東京ゲーテ記念館が竣工した。
1989年に82歳で没。
子息に映画評論家東京経済大学などで教鞭をとった粉川哲夫がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「粉川忠」の詳細全文を読む




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