翻訳と辞書
Words near each other
・ 米航空宇宙局
・ 米艦コール襲撃事件
・ 米良バイパス
・ 米良成志
・ 米良明久
・ 米良有料道路
・ 米良氏
・ 米良治彦
・ 米良湖
・ 米良矩重
米良祐次
・ 米良美一
・ 米良道路
・ 米良重方
・ 米良長門守
・ 米花剛史
・ 米花斎英之
・ 米花町
・ 米芾
・ 米英


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

米良祐次 : ミニ英和和英辞書
米良祐次[めら すけつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

米良祐次 : ウィキペディア日本語版
米良祐次[めら すけつぐ]

米良 祐次(めら すけつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将日向伊東氏の家臣。日向国臼杵郡門川城主。
米良氏肥後菊池氏の末裔とされる。
門川城は伊東領の北辺を担う日向三城(門川城・塩見城日知屋城)のうち、最北端に位置する。門川より北は伊東氏と敵対する土持氏の領地であり、このためか飫肥真幸院の合戦に従軍した記録はない。
元亀3年(1572年)、木崎原の戦いに敗れた伊東氏が次第に島津氏に対し劣勢になると、その隙をついた土持親成に攻められるようになる。三城は合力して土持氏を撃退したものの、天正5年(1577年)の伊東崩れにより伊東氏の豊後国退去に至り、島津氏の軍門に下らざるを得なくなった。
しかし、三城では島津氏を打ち破るため、豊後の大友氏の下に身を寄せた伊東義祐に密かに連絡を取り、大友氏を盟主と仰いだ日向侵攻を要請する。これを受けて大友義統が大軍を擁して日向入りし、ここに伊東の都於郡復帰も成就するかに思われたが、天正6年(1578年)の耳川の戦いにおいて大友氏は島津義久に大敗を喫し、従軍していた日向三城の城主達(米良祐次、塩見城主・右松四郎左衛門尉、日知屋城主・福永氏本)も悉く戦死した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「米良祐次」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.