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竹熊健太郎 : ミニ英和和英辞書
竹熊健太郎[たけくま けんたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [くま]
 【名詞】 1. bear (animal) 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 

竹熊健太郎 : ウィキペディア日本語版
竹熊健太郎[たけくま けんたろう]

竹熊 健太郎たけくま けんたろう1960年8月29日 - )は、日本の編集者ライター漫画原作者である。本人による肩書きは「編集家」。東京都世田谷区出身。神奈川県大和市在住。『アルバイトニュース』でペンネーム細石巌(さざれいしいわを)を使用していたことがある。
==経歴==
2009年現在、京都精華大学マンガプロデュース学科教授、多摩美術大学美術学部非常勤講師同大学では武蔵野美術大学などの学生も巻き込み、『電脳マヴォ』などの同人誌を授業内容の一環の実作として創刊。その他桑沢デザイン研究所講師などを務める。
声優小林恭治は母のいとこにあたる。ファンの女性と結婚していたがのち離婚、その時の経験から、本田透の対談集『電波大戦 ぼくたちの“護身”入門』において、“モテの魔の手”に負けないようにと、アドバイスしている。
高校在学中にミニコミ誌『摩天樓』を創刊。その後桑沢デザイン研究所に入学するが、在学中に自販機本編集者となり中退。現在は編集、執筆業、漫画原作などを行っている。
いわゆる「おたく第一世代」の一人であり、漫画を始めとしたオタク文化を題材にした執筆、評論活動を仕事の中心としており、「オウム真理教事件」の際は、いち早く、自身のオタク体験を題材とした半自伝『私とハルマゲドン』を執筆した。
友人の桜玉吉に「ドマニア」と評されるほどマニアックな人物であり、かつての自宅には『ガロ』『COM』などの漫画雑誌が創刊号から保管されていて、あらゆる時代の映画作品やアニメ作品のソフトがメジャーマイナー問わず大量に所蔵されていた。
漫画評論を行う者たちには漫画作家を兼ねるものが多いがその中でも竹熊はメジャー誌でヒットを飛ばした経験を持っており、ただ一人売れた実績を持つ漫画評論家となっている。また、『漫画ブリッコ』にも漫画が掲載されたこともある。
代表作に『サルでも描けるまんが教室相原コージと共著)』、ジャンルを越境した老偉人たちへのインタビュー集『篦棒な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』など。
2006年11月30日脳梗塞を患い、長期入院を余儀なくされたが2007年退院。
2007年「月刊IKKI」12月号より、「サルでも描けるまんが教室」の続編、『サルまん2.0』の連載が開始されたが、相原との意識の違いがあり、「これ以上面白く書けない」という理由で2008年7月号にて連載を中止し、終了(未単行本化)。
2009年から2010年に、竹熊の責任編集による、才能ある学生作家を中心とした漫画同人雑誌「コミック・マヴォ」を刊行。2012年1月からWEB雑誌「電脳マヴォ」を開始。
2014年6月24日公式ブログにて株式会社ホップ・ロウ取締役辞任と同社にて発行・編集業務を行っていたWEB雑誌「電脳マヴォ」の継続を宣言。持病である軽度発達障害のため京都精華大学での講義を休職していることを報告。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「竹熊健太郎」の詳細全文を読む




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