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穏田 : ウィキペディア日本語版
穏田[おんでん]
穏田(おんでん)は、かつて東京・渋谷渋谷川穏田川)沿いの低地にあった村である。1965年昭和40年)に住居表示が施行されたのに伴って穏田の名は住所から消滅、隣接する原宿、及び竹下町の町域とあわせて「(東京都渋谷区神宮前」に代わった。
== 概要 ==

江戸時代の穏田は、村の中央を流れる渋谷川穏田川)に水車がかけられ、稲作が行われる田園地帯であった。ただし渋谷川は沼のある低地を流れているために水田の灌漑には使うことが出来ず、村人は現在の明治神宮境内にある南池の水を山手線の下を東流させて水田に引き入れていた〔散策マップNo.3 『JR原宿駅から妙円寺まで』 渋谷歴史散歩の会、平成14年4月発行〕。川筋には、米の賃つきをする水車稼業の小屋が点在していた〔。
一方で東寄りの台地上には松平安芸守(浅野)、戸田長門守、水野石見守などの武家屋敷もおかれていた。明治以降には特に軍人が屋敷をかまえたことで知られ、帝国陸軍大将も務めた元勲・大山巌の邸宅もこの地にあった〔大山厳の息子、大山柏もこの地に住み、私邸内に大山史前学研究所を開設している〕〔近隣の原宿に住んでいた作家、徳富蘆花の小説「不如帰」の題材となったことでも知られる〕。
稲作も行われていた穏田であるが明治時代以降には急速に市街化が進行、この地の水田は、明治42年頃には姿を消した〔。
穏田の地名は1965年昭和40年)の住居表示の施行によって消滅したが、商店街の名称「穏田商店会〔原宿穏田商店会 穏田商店会公式サイト、平成23年5月9日閲覧〕」や、渋谷区の施設「神宮前穏田区民会館〔神宮前穏田区民会館 神宮前6-31-5 渋谷区のウェブサイト、平成23年5月9日閲覧〕」などにその名を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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