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福澤洋一 : ミニ英和和英辞書
福澤洋一[ふくざわ よういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [いち]
  1. (num) one 

福澤洋一 : ウィキペディア日本語版
福澤洋一[ふくざわ よういち]

福澤 洋一(ふくざわ よういち、1967年5月26日 - )は、福岡県飯塚市出身の元プロ野球選手捕手)。2014年より千葉ロッテマリーンズの二軍バッテリーコーチを務める。
== 来歴・人物 ==
直方学園高校〔後に直方東高等学校と改称し、2003年に廃校となった。〕から九州産業大学に進学するが中退。ロッテオリオンズの練習生を経て、1988年にロッテにドラフト外入団した。
入団1年目(1989年)には早くもチームの捕手として最多出場を果たすが、打撃に課題があったためレギュラーに定着するまでには至らなかった。後年はベテラン捕手として若手の投手・捕手を支え、指南役として貴重な働きをした。1998年7月7日オリックスブルーウェーブとの対戦(グリーンスタジアム神戸)で9回裏二死、黒木知宏ハービー・プリアムに同点2ラン本塁打を打たれ、連敗阻止に失敗した試合〔ロッテは当時、同年6月12日のオリックス戦(千葉マリンスタジアム)で勝利したのを最後に16連敗(当時のプロ野球タイ記録)を喫しており、7月7日の試合はプリアムを打ち取れば約1ヶ月振りの勝利という状況であった。結局この試合と翌8日の試合にも敗れ、連敗は18にまで延びた。〕で、黒木とバッテリーを組んでいた。また、他のロッテの選手には「かっ飛ばせかっ飛ばせ○○!」と叫ばれていた応援は、福澤朗(当時日本テレビアナウンサー)の異名を元に、「ジャストミートジャストミートふっくざわ!」というものであった。
2003年を最後に現役を引退し、ロッテの二軍バッテリーコーチに就任。その後、監督の牛島和彦の誘いで2005年から横浜ベイスターズの一軍バッテリーコーチを務めたが2006年オフ牛島と共に辞任。2007年に新しく発足した社会人野球クラブ「浦和ディアーズ」の初代監督に就任。同年、インターネット放送局marines.tv で放送中の『1ch「Game Live!」』(2008年からはこの中継が再構築され格上げになった、BSデジタル放送TwellVTwellV プロ野球中継)に不定期で出演。2009年から横浜の一軍バッテリーコーチを務めていたが2011年11月22日に来季の契約を結ばないことが発表された。
2012年北海道日本ハムファイターズの二軍バッテリーコーチに就任。2013年、10月16日に今季限りで退団することが球団より発表された〔コーチ退団のお知らせ 北海道日本ハム球団公式サイト2013年10月16日配信〕。
2014年より古巣ロッテに二軍バッテリーコーチとして復帰する〔福澤洋一氏 2軍バッテリーコーチ就任のお知らせ 千葉ロッテマリーンズ公式サイト2013年10月26日配信〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「福澤洋一」の詳細全文を読む




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