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神武王 : ミニ英和和英辞書
神武王[しんぶおう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神武 : [じんむ]
 (n) legendary founding Emperor of Japan
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

神武王 : ウィキペディア日本語版
神武王[しんぶおう]

神武王(しんぶおう、生年不詳 – 839年)は新羅の第45代の王(在位:839年)であり、姓は金、は祐徴〔『三国遺事』王暦では諱は佑徴とする。〕。第38代元聖王の曾孫であり、父は上大等金均貞、母は朴氏の真矯夫人、王妃は貞継夫人〔『三国遺事』王暦では、貞従夫人または貞継夫人とし、明海■■の娘とする。文科大学史誌叢書版の頭注では「角干」が脱落したものとしている。→[]〕。839年1月19日〔『三国遺事』王暦では、閔哀王の死去を1月22日とする。〕に先代の閔哀王を殺して王位に就いた。
== 即位まで ==
42代興徳王の3年(828年)1月には大阿飡(5等官)の位にあって侍中に抜擢されたが、831年1月には王都金城(慶尚北道慶州市)に起こった地震のために侍中を免職された。834年1月には再び侍中に返り咲いたが、835年2月に父の金均貞が上大等に就任すると、祐徴は上表して侍中職を辞任した。このときに後任の侍中になったのが金明(後の閔哀王)だった。
興徳王の死後、上大等職にあった父均貞とその甥の金悌隆(後の僖康王)との間に王位継承をめぐって争いが起こった。騒乱の中で均貞が死んで僖康王が即位すると、祐徴らは清海鎮(全羅南道莞島郡)大使の張保皐を頼って落ち延びていった。その後、僖康王を擁立した金明が反乱を起こし、僖康王を殺して838年1月に閔哀王として即位すると、祐徴派は同年3月から閔哀王を討つための軍事行動を開始した。結果として祐徴の将軍の金陽が王都に迫り、839年1月19日に閔哀王を殺害した。祐徴は王の儀礼を以て閔哀王の屍を埋葬し、また、古礼に則って即位式を執り行い、王位を継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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