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僖康王 : ウィキペディア日本語版
僖康王[きこうおう]

僖康王(きこうおう、生年不詳 - 838年)は新羅の第43代の王(在位 : 836年 – 838年)であり、姓は金、諱は悌隆(ていりゅう)または(ていぐう)。38代元聖王の曾孫であり、父は伊飡(2等官)の金憲貞、母は朴氏の包道夫人〔『三国遺事』王暦では、母を美道夫人、または深乃夫人・巴利夫人とし、姓不詳の忠衍大阿飡の娘とする。僖康王の即位後に、父を『三国史記』新羅本紀では翌聖大王(『三国遺事』では興聖大王)、母を順成大后と追諡した。〕。王妃は角干(1等官)の位にあった葛文王忠恭の娘の文穆夫人。836年12月に先代の興徳王が死去したときに、伯父の金均貞との間の政争に勝利して王位に就いた。
== 即位まで ==
興徳王の死後、直接に王位継承を争ったのは上大等職にあった金均貞と甥の金悌隆とであったが、均貞を支持した者は子の阿飡(6等官)の金祐徴(後の神武王)、妹婿にあたる阿飡の金礼徴、武烈王9世孫の金陽らであり、悌隆を支持した者は侍中金明(後の閔哀王)、伊飡の利弘、裴萱伯らであった。はじめは均貞派が王宮に入って優勢となったが、悌隆派の大軍が押し寄せて均貞らを敗走させ、乱戦の中で均貞が殺害されて悌隆が即位することとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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